小児科医20年でピリオドを打った私が、未経験から産業医の道を選ぶまで

2026年6月10日 産業医A

小児科医20年、地方で直面した「転科」という決断

小児科医20年、地方で直面した「転科」という決断
私は50代の小児科医です。20年以上、地域の高度医療の現場で子どもたちと向き合ってきました。しかし勤務先の地方都市では、若者の都心流出と高齢化が進み、小児人口そのものが減り続けています。それに比例するように小児科の求人は減り、子どもが少ないために閉診を余儀なくされる医療機関も少なくありません。中核病院は若手を、クリニックは院長より若い医師を求め、中高年の私が同じ道で転職するのは難しい現実がありました。体力面の不安や、これからの医療ニーズを熟考した末、私は産業医への転科という新たな一歩を決断したのです。

資格は取ったものの――未経験という、狭き門

資格は取ったものの――未経験という、狭き門
とはいえ、私は産業医の資格を取得したばかりで、実務経験はまったくのゼロ。相談したイードクターによると、産業医求人の約8割は実務経験が必須で、未経験可の案件はごく限られているとのことでした。それでも担当のコンサルタントは、私の決断に深く共感し、必ず叶えましょうと親身に動いてくれました。複数の企業を当たってくれた中で、年齢も経験も問わない希少な案件――大手企業の産業医募集が見つかったのです。これはと心が躍り、私はすぐに書類選考へと進みました。これが本命だと、勝手に思い込んでいました。

本命の不採用――しかし、陰で動いていてくれた手

本命の不採用――しかし、陰で動いていてくれた手
ところが、書類選考から1週間が経っても返事はなく、やきもきしながら待ち続けた末、3週間後に届いたのは「採用は難しい」という結果でした。良い案件だっただけに、コンサルタントと二人で思わず肩を落としてしまいました。けれど、彼はそこで諦めてはいませんでした。実は私が回答を待っている間に、こっそりと別の2件を探し、提案してくれていたのです。当時の私は本命のことで頭がいっぱいで、正直この2件にはあまり関心を持てずにいました。まさか、そこに縁が待っているとは思いもせずに。

思いがけない縁、そして自分で選んだ道筋

思いがけない縁、そして自分で選んだ道筋
提案された1件は総合病院で、産業医に加えて院内健診、希望すれば小児科の兼務も可能という、すべてを叶えられる案件でした。けれど私は健診との兼務を望まず、小児への未練ももうありませんでした。私が選んだのは、もう一つの健診会社の案件です。母体が大きく産業医求人も豊富で、まずは巡回健診で現場を知り、特殊健診の知識を身につける。職場巡視で企業や職員への対応に慣れながら、段階的に専属産業医へと移行していく――未経験の私が着実に育っていける、理想的な道筋がそこにありました。

イメージ通りの手応え、そして輝ける今

イメージ通りの手応え、そして輝ける今
面接では、産業医に求められる人間性や対応力、具体的なキャリアパス、これからの産業医のニーズまで、私が漠然と抱いていたイメージを一つひとつ丁寧に確認していきました。抱えていた不安が次第に晴れ、確かな手応えを感じた私は「イメージしていた通りです。ぜひここでお世話になりたい」と、その場で入職を決めました。入職後は臨床とは違う雰囲気にも慣れ、今は企業と職員の懸け橋となる存在として働いています。小児科医としてのキャリアを一旦置き、未来を見つめて踏み出せたのは、最後まで私を信じ支えてくれたコンサルタントのおかげです。