神津 仁 院長

神津 仁 院長
1999年
世田谷区医師会副会長就任
2000年
世田谷区医師会内科医会会長就任
2003年
日本臨床内科医会理事就任
2004年
日本医師会代議員就任
2006年
NPO法人全国在宅医療推進協会理事長就任
2009年
昭和大学客員教授就任
2017年
世田谷区医師会高齢医学医会会長
2018年
世田谷区医師会内科医会名誉会長
1950年
長野県生まれ、幼少より世田谷区在住。
1977年
日本大学医学部卒(学生時代はヨット部主将、運動部主将会議議長、学生会会長)
第一内科入局後、1980年神経学教室へ。
医局長・病棟医長・教育医長を長年勤める。
1988年
米国留学(ハーネマン大学:フェロー、ルイジアナ州立大学:インストラクター)
1991年
特定医療法人 佐々木病院内科部長就任。
1993年
神津内科クリニック開業。
11月号

東京オリンビック・バラリンピック2020 (その4)

プロローグ

   公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会大会運営局医療サービス部会場医療計画課のMさんから、「この度は、オリンピックへのご参加をいただけるとのこと、大変ありがとうございます」というメールをいただいたのが2021年3月13日のことだった。メールの発信が午前1時21分とあるから、大会準備をする事務局は大変な状況になっていたのだと思う。

   友人のK先生とはヨットを通じての大学時代からの良き友であり、彼がAthlete Medical Supervisor (AMSV : 選手用医療統括者)の役割を振られて困っているということだから、彼を助けるのに一も二もない、二つ返事で了承した。クリニックを12月に移転したばかりでまだ最初の春も迎えていなかったから、夏の予定は立てづらかった。しかし、以前この名論卓説8月号で書いたような因縁もあり、クリニックの夏休みを前倒しにすることで参加することにした。





   Mさんからは続々と大会準備の為の指示が届く。5月1日のメールで、 「さて、選手用医務室の診療所開設手続きを行うにあたり、藤沢市保健所より、従事していただく先生方全員の医師免許書の写しと、履歴書を提出するように、要請されています。つきましては、下記のご送付をお願い申し上げます」とあり、<ご提出締切> 5月14日 (金)と赤字で期限が切られていた。

   また翌日5月2日に、
<先生方にご送付いただく内容>
1. 医師詳細調査票(添付資料)の項目を全て記載し、ご送付ください。
2. 医師免許証をPDFにしていただき、メールに添付してお送りください。
とやや違う指示が来る。おそらく、Mさんの上部組織から次々と変更した指示が届くのだろうと思う。

   6月27日(日)には江の島会場での「会場別研修」を受けに行ったが、開始時間より早めに着いたのに、もうすでに研修会が始まっていたのに驚いた。後から聞くと、26日の18時過ぎに急遽変更のメールが送られていたらしい。しかし、クリニックのPCは土曜日の診療時間16時を過ぎると月曜日まで通常は開かない。診療時間以外で連絡が必要な場合には、携帯電話のメールアドレスに送ってもらっている。こんなことの繰り返しが7月の出務前まで続く。この時以来、MさんにはPCと携帯電話の両方に連絡のメールを送ってもらうようにお願いした。そんなことで、オリンピックボランティア活動をするために、事前の様々な準備まで含めて数ヶ月を要したことになる。

   そして、今私は江の島にいる。



7月30日(金曜)
   今日は久しぶりに曇り空。外の気温は朝7時で27℃。いつものシーザーサラダとR1と今日はコールスローの代わりに1日分の野菜ジュースを飲む。勤務室勤務の2日目なので、事前に登録していたMicrosoft Authenticatorを使ってGEの電子カルテを動かしてみた。オリンピックのprivacy管理は非常に厳しく、医務室のPCを立ち上げて電子カルテに入るまでに3重のsecurityがかけられている。まずID/PWで入ると電子カルテのアプリが画面に貼ってある。これをクリックすると再びID/PWが要求され、mail addressと事前に登録しておいた任意のPWを入力する必要がある。ここで認証されると、今度はinternetを介してAuthenticatorアプリに6桁の数字が示されるのでこれを手早く入れなければならない。





   6桁の数字は30秒間だけ表示され、30秒過ぎるとまた違う数字に変わってしまい、途中でtime upしてしまうとその数字では開かなくなってしまう。私は特にストレスなく入れたが、同年代のPCに不慣れな先生は「2日かかりましたよ」といっていたから、やはり若い医師でなければこうした勤務は務まらないのだと思う。実際、30代・40代の医師は全く問題なく使いこなしていた。友人のK先生は「俺はこういうのは苦手。だから絶対触らないよ」といっていたがそれは正解だ。もっと大事な管理者としての役割があるからね。
   今日は1日が充実していた。帰りはやや遅めだったが、江の島大橋からきれいな夕陽が見られてラッキーだった。この次に来る時は3日連続勤務になる。夕陽が元気をくれて、また来いよ!といっているようだ。また来るよ。




8月2日(月曜)
   昨日は3年ぶりに父の墓参りをして、佐久から東京、そのまま下北沢から江の島へ。この歳で150Kmを移動するのは結構くたびれる。今朝は晴れて外の気温は27℃。早めの電車で江の島へ行くと、江の島大橋から富士山がきれいに見えた。館山で合宿していた時は富士山が見えると風が吹くという観天望気の対象だったが、今日の富士山は東京オリンピックを祝い、選手や我々Medical staffを応援しているかのように雄々しく見える。良いレースが出来てケガ人などが出ないように望む。





   8月3日(火曜)
   今日からメダルレースが始まった。49erFX級, 49er,級 フィン級、混合フォイリングナクラ級のレースが行なわれる。レース海面がEnoshimaなので、堤防からはよく見える。本来なら観客がずらりと並ぶ堤防のデッキには、各国のチームスタッフ、その家族が国旗をはためかせて応援している。長かったオリンピックの日程も山場を超えて、担当任務に余裕ができたField Castの、赤と青のユニフォーム姿での観戦も目立ってきた。オーロラビジョンからは解説者の声や威勢のよいロックミュージックがかかって大会を盛り上げる。いかにも国際レースをしているという雰囲気が漂っている。レースが終わると、応援している人々がいる堤防のすぐ近くまで選手やコーチボートが来て、やったぞー!という雄叫びを上げる。堤防の近くは潮の跳ね返りがあって船が不安定になるので、通常は接近禁止になっているのだが、アドレナリンが出まくっている選手たちは気にしないで突っ込んでくる。そのため転覆したり、マストを折ったりする艇も出たが、コーチボートやレスキューがたくさんいる中での大歓喜を誰も責める者はいない。勝者に与えられた特権だ。





   8月4日(水曜)
   今日も晴れ。朝8時で気温は29℃。今日はメダルレースの最終日。日本チームの470級は男女ともに10位以内で決勝に進んでいる。午前中は風があまり上がらず、レース艇の出艇も正午を回りそうなので、メディカル艇も待機になっている。昨日同様猛暑で、応援する方も大変だ。昨日の決勝で各国のスタッフは帰国支度を始めた。コーチボートを運ぶのにクレーン車がないので人力だ。台車があちこちで配線ホースを踏み壊すものだから、医務室も隔離室も一時停電してエアコンが止まった。30分ほどで復旧したが、電気技術者は日本人ではないのでコミュニケーションが今一つのようだった。これだけ大きな国際大会の設備となると、そのノウハウを持っているのは外国の会社になる。今回の開会式のドローンによる地球儀演出は実は日本のものではなかった。米国のCPUで有名なIntelが手掛けたものだった。

   オリンピックの放送分野は2001年にIOCが作ったOlympic Broadcasting Services (OBS)によって統括されており、技術的にも倫理的にも各国に公平・公正に放送されている、とそのHPには書かれていた。テレビ画面で見るオリンピックは、画像から伝わるリアリティ、ダイナミズムが垢抜けていて、表示の色や画面構成はスマートで見やすい。ローカルな日本の地上波放送局とは一段違うと感じる。Sailingを上空からヘリコプターで画像を捉え、コンピューターグラフックを重ねてStart lineやFinish lineを描く技術は、水泳プールに各国選手のフラッグやWorld record line、Olympic record lineを描くのと同じ技術が使われているだろうし、レース艇のバウ(前方部分)やマストにGPS付きのVideo cameraを設置することで、艇速や位置を捉えてグラフィック化し、タックやジャイブの臨場感あふれる選手の動きを見せてくれることなど、以前は考えられないほどsailing raceをTVで楽しめるようにしてくれたのがOBSのようだ。





   今後は、VRのゴーグルをかければ、もっとvirtualでexcitingな世界が広がる可能性がある。Sailingも一般の人たちがもっと楽しく見られるようになれば、今は低迷している日本の海洋スポーツにも明るい将来が開けるかもしれない。



エピローグ

   8月4日の今日が私のオリンピックボランティアの最終日。いつもField Cast check in centerでcheck inを担当してくれる方が、「あっ、神津さんは今日が最終日ですね。ではこの金バッジを差し上げます。本当にご苦労様でした」と銅から始まって銀をいただき、今回は金と、私にとっても無事に務めを果たしたことを証明する金メダルになった。もう当分日本でオリンピックが開かれることはない。コロナウィルス感染蔓延の中で行われたTOKYO2020は、長く、永く語り継がれることだろうし、その開催は成功なのか、失敗なのかは後世の人たちの判断に委ねられている。しかし、それを支えたボランティア達の栄誉を、私は称えたい。





参加証



<資料>

1) 1.OBS:
https://www.obs.tv/organisation

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