いつもは明るい顔の89歳の老婦人が、笑顔なく外来のドアを開けて入ってきた。
「嫌になっちゃいますよ、あちこち痛くって・・・」
どうしました?
「整形外科に行っているんですけどね、腰は痛いし膝は痛いし、ここまで来るのが大変なんですよ。うちの前の通りはタクシーが来ないし、バス停まで出ても、三軒茶屋で乗り換えでしょう、裏から歩いてきた方が早いんですよ。だからゆっくり来るんですけど、大変なんですよ。ここまで来れなくなったらどうしようかと・・・」
国は100歳まで頑張れっていってますよね?コマーシャルでも?
「冗談じゃないですよ!早くあっちに行きたいですよ。つうったって、自分で死ぬわけにもいかないし、どうしたらいいってんでしょうねぇ。前にお金持ちの話を聞いたんですけどね、年だけはお金じゃ買えない、っていってましたけど、本当にそうですよね」
来れなくなったら、こっちから行ってあげますから(笑)
「あら、それはありがたいわ」
まだ神様からのお呼びがかかっていませんから、もう少し頑張りましょう。
こんな診察室での会話が増えた。国は馬鹿の一つ覚えのように「100歳時代」を喧伝して、傘下の企業に関連商品を揃えさせ、日本経済発展のためにとむちを振るっているが、国民の身体、心情に関する無知は隠しようもない。経済発展を強引に進めることが国民を幸せにするものではないと分かっているのか、分かっていないのか。市場原理主義、経済至上主義、新自由主義者達の権力に迎合し、逆らうことのできない政治を司ることしかできないとあきらめているのか、よく分からないが、地域医療の現場では、そのしわ寄せが健康弱者、経済弱者としての高齢者に及んでいることをもっと知るべきだろう。
終い方
以前にも紹介させていただいたが、日本医師会生涯教育シリーズという蔵書の中に、「対談 医の心―先輩医師に学ぶ」という本があって、多くの先達の心に残る言葉が書かれている。東京大学名誉教授で、恩賜財団母子愛育会総合母子保健センター所長をしていらした坂元正一先生の話は、人生の最終章に関わる我々医師にとって、貴重な示唆を与えてくれる、大変考えさせられるお話だった。私は、いろいろな講演会で、日本人の女性、大和撫子の心根を理解するのに重要な例証であるこの話を、事あるごとに皆さんに伝えている。
「私は一昨日母の葬儀を終えたばかりで、その死をみつめて考えることがたくさんありました」
「母は私に教えたとおりの生き方をし、死生を超越して自ら尊厳死を選んで逝ったのです。自分のことは自分で全部やっていたのですが、この1か月ちょっとばかり体の自由がきかなくなって、下の世話をしてもらう機会が増えました。これは自分の寿命なのだから、迷惑をかけないうちに、まだはっきりとしているうちに祖先のところに行きたいとも言っておりました」
「私は気がつかなかったのですが、孫がお祖母ちゃんがもう弱っているということで来た時に、孫に『私は水絶ちして、きれいな身体で自分で往くのよ』ということを言ったのですね。ショックでした。ちょうど亡くなる前8日前です。完全に断食、断水ですね。人間は本能的に断水は不可能ですし、90歳過ぎれば、2日も水を絶てば危険な状態になりますが、それを完全に絶ちました。まだ話ができるうちに皆に感謝して『さようなら』が言いたいと申しまして、電話を希望の方々全部につなぎ、受話器を口に当てまして『ありがとう、さようなら』と皆様にご挨拶をすませました。そして私には”宮中のことに関係しているから、喪があけた状態で御慶事に間に合うようにしたいの。これが私の願い”と申しました。やはり明治の人ですね。日本あるいは皇室を、たいへん大事に思っていまして、子供の立場も考えて、自ら尊厳死を選んだのです。2日前に支えた色紙10枚に『忍』の字を書いて、孫、曾孫に与えました」
「臨死体験というのですか、最後の日には体が持ち上がってくる、上から皆が見えるよと言いました。最後に私と妹だけが子供として残り、希望どおり指先までマッサージをすると、『いい気持ちだわ、今度は覚めないように眠らせてね』。それが最後の言葉でした。花冷えの夜中、そして翌日は一斉に満開の桜が雪のように散り、何か母の皆さんへの想いが一片一片に託されたように思えました」
「最後に自分の部屋で血を分けた子供に看取られながら過ごさせてやれたことが、せめてもの慰めとして医師である私の心にしっとりと残りました。これが病院だと、チューブを入れて、患者がいろいろなことを言いたいのに、それができない状態で去らせてしまうことが多いですね。そんな、いちばん寂しい状態で去らせてしまうことがいいのかどうか。母の死を見ながら、本当に考えさせられました。医の心として、私のとったやり方は許されるのではないだろうか。時が時ですので、いま私の心は揺れ動いているところです」
100才まで生きたいですか?アンケート
高齢者と一言でいっても、やはり高齢男性と高齢女性ではいろいろな点で異なる。まず総数が違う。内閣府の発表している「高齢化の状況」を見ると、最新のデータが2017年のものだが、65歳以上の高齢者人口は3,515万人であり、そのうち男性は1,526万人、女性が1,989万人。75歳以上の人口となると、男性は684万人、女性が1,065万人で女性が61%となる。
死亡する率は、84歳以下は男性が女性より多く死亡する。74歳までは男性は女性の2倍以上死ぬ。85歳からは女性の死亡が男性を上回るが、男女の平均寿命からして、男性はもうあまり残っていないからだ(平成24年資料より)。
以前お伝えした、第一回世田谷区医師会高齢医学医会の区民シンポジウム、その中で行うディスカッションのために、医会の医療機関で75歳以上の高齢者にアンケート調査を行った。
上に示すのがその質問内容だが、4つの質問を設定した。一人にかかる時間は1-2分なので、診療の妨げにはならない。総数171名のデータが集まった。
結果を集計して、グラフにしたのが以下に提示するデータだ。男女比は男性29%、女性71%で、先ほど示した内閣府の全国データよりは女性が多かった。このデータは通院加療中の患者を対象にしたため、この時期に同時に神津内科クリニックの外来に来ていた患者166名の男女比を調べたところ、男性36%、女性64%となっていた。アンケートとなると、女性の方が快く応じてくれたのかもしれない。
年齢構成は、70歳代が37%、80歳代が55%、90歳代が8%。
「100才まで長生きしたいですか?」の問いに、したいと答えた人は26%、したくないと答えた人は74%だった。これを年代別に調べてみると、したくない人は70歳代が最も多く80%に上った。80歳代になるとやや減って71%、90歳代になると62%と長生きしたい人が増えていた。
長生きしたくない、という理由は様々だが、自分で自分のことができる間は良いが、人に頼るようになって生きるのはつらい、ごめんだ、ということを話す高齢女性が多かった。
Aさん 「お父さんが亡くなってからは悩んでばかりいる。生きたいと思わない。早く死にたい」
Bさん 「1日1日体が弱ってくるようで、人の世話になるのは嫌だから、早い方がいいと思っている」
Cさん 「年取って良いことはないし、ボロボロになってまで生きていたくないじゃないですか」
70歳代、80歳代では、100歳まで20年以上あり、慢性疾患を抱えている通院患者、あるいは独居老人には辛い時間なのかもしれない。逆に90歳を超えてしまえば、家族の支えもあり、多少の欲が出てもおかしくない。しかし、それでも6割以上の人が100歳まで長生きしたくないと考えている、それが現状だ。国がコマーシャルとしての「明るい100歳」を演出しても、その光の陰に隠そうとしている日本の本当の地域社会の姿が、高齢者には実際に見えている、そんな気がする。
ちなみに、これを男性と女性に分けて集計してみたところ、女性ではさらにしたくない人が増えて80%となった。男性では、長生きしたい人が35%と女性より多くなっていた。このアンケートでは理由を聞いてはいないが、女性は子育てや家族の世話、妻としての役割を終えると、人としての人生を全うした充実感があり、長生きする理由がないのだと思う。男性は、人類繁栄のちょっとした手伝いをしただけで、あとはあまり大したことはしていない。悪さをするのは大体が男と決まっている。戦争をするのも、経済搾取して金を独り占めにしたり、権力を振るって人を蹴落としたり、ろくでもない発明をして人殺しをしたり。バイアグラを使ってジタバタする男、危険に敢えて飛び込む男、自分の人生が意味のあるものだと、幻想であっても信じたい男は、名声や富を求めて、結局その見果てぬ夢は死によって閉ざされる。女性の死は充実した人の死だが、男の死は人として空虚だ。だからこんなコマーシャルを打つのかもしれない。
<資料>
- 1) 内閣府「高齢化の状況」:
- https://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2018/html/zenbun/s1_1_1.html
- 2) 年齢別死亡数及び死亡率:
- 厚生労働省大臣官房統計情報部人口動態・保健社会統計課「人口動態統計」