クリニックを出発する
外来を終えてすぐに出かけなければならない大事な用がある時に、必ずといって何か面倒なことが起こる、というのが我々医師の経験するいわゆる「あるある」だ。「一年前から手足がしびれているんです」と久しぶりに見る糖尿病性ニューロパチー患者さんが来院して、それならなんでもっと早く来なかったの、と心の声が呟くのは仕方のないことだろう。しかし、クリニックの前で転んで怪我しました、と運び込まれた患者さん、熱で動けなくて今になってしまいました、というインフルエンザの患者さん達を無碍に断るわけにはいかない。診察、検査、処方書きを何とか時短で凌いで、羽田空港行きのタクシーに飛び乗る、などというのがお決まりのアタフタモードだ。
今回の区民シンポジウムも土曜日の午後2時開始だったから、インフルエンザの患者が途切れなかったら、烏山区民センターまで道が混んでいたら、と心配していたが、on timeで迎えのタクシーに乗ることが出来た。もちろん昼食を食べる時間はないので、途中でコンビニに寄ってもらうことにして出発した。夜からは天候が崩れると天気予報が伝えていたから、シンポジウムの2時から4時までは大丈夫だろうと高を括っていたが、11時頃来院したワクチン接種する患者さんが「すごい雪でしたよ、初雪ですね」というので、えっ?と窓の外を見たが、その時にはすでに雪は止んでいた。やれやれ、おどろかせないでよ、とまた心の声が呟いたのはいうまでもない。しかし、タクシーで世田谷通りを走っている頃には、霧雨程度になっていた。ラッキー!
孤独のグルメ
世田谷通りから千歳通りへ入り、すぐのFamily martでサンドイッチと缶コーヒーを買った。タクシーの中で食べていると、千歳船橋駅近くでMAASANという看板を見つけた。--あれ? 最近はまっている「孤独のグルメ」でやっていたジンギスカンの店だ--。
「孤独のグルメ」というのは、テレビ東京で最初は深夜0時43分から1時13分までの30分間、木曜日に放映されていたテレビ番組だ。次第に人気が出て、今年の大みそかには年越しのLive放送を、NHKを向こうに回して放映していた。Amazon primeでこの番組を配信していることを知って、私も観てみたが、「腹が減った・・・」で始まる食堂探しが面白くて、すっかりファンになってしまった。Wikipediaによれば、原作久住昌之、作画谷口ジローによる漫画が元になっているらしい。
主人公の井之頭五郎を、松重豊という俳優が実にうまく演じている。元々は強面のキャラクターだった俳優だが、ここではコミカルなタッチで食べ物好きの独身男をうまく表現していて秀逸だ。「基本的にあえて原作を使わず、全てドラマオリジナルのエピソードとなっている。時間軸は原作より後年の設定で井之頭五郎も経年から性格が原作よりもやや柔和になっているほか、登場する店はすべて実在しているため、基本的に原作のような失敗エピソードは無い」だけではなく、下戸である主人公が酒飲みに絡まれながらも共存共栄する様は、日常にある慎ましやかな幸せを表現していてほほえましい。人情や人間を、伝統や文化をかしこまらずにさらっと見せるにはなかなかの手腕がいると思う。同じテンポ、同じリズム、同じ音楽で繰り返されるステレオタイプは、ここでは心地よく、見る者を幸せにしてくれる。
そんな五郎さんが行った店を巡礼の如く回る人たちも出て来ているらしい。私も、行けそうな店を「食べログ」でサーチしていくつか保存した。その一つが、千歳船橋のMASSANだった。あ~っという間に通り過ぎてしまったが、テレビで見たほどは魅力的には見えなかった。そのうち、私も巡礼してみるか。
烏山区民センター
千歳通りを真っすぐにたどっていくと、商店街の真ん中に溶け込んだ区民センターが見えた。都心の豪華な区民センターと違って、車寄せもなければ洒落た喫茶店が併設されているわけでもなく、入り口も二人がようやくすれ違えるくらいの、良い意味でいわゆる地域に密着した、誰でもが下駄履きで入れるような区民センターだ。その中に、300人規模の客席を持つ大ホールがあって、そこが今回の会場だった。タクシーが着いて料金を払っていると、腰の曲がった高齢の女性が何人か入っていくのが見えた。よしよし、皆さん来場し始めているな、と期待に胸を躍らせた。
受付を担当してくれた世田谷区医師会の事務職員が資料を配っている。基調講演の大熊由紀子先生、世田谷区の高齢福祉部長の瓜生律子さん、そして私のスライド資料、本日のレジメが入った茶封筒を渡してくれているのだ。ご苦労様、とお礼をいって、舞台裏の迷路のような階段を上がった。案内された楽屋部屋には、もうすでに高齢医学医会の小林先生が来られていた。この日は雪が降ったくらいだから室内も暖房が今一つだったが、当日を迎えた興奮からか、それほど寒さを感じてはいなかった。
20分ほど前に、シンポジウムの打ち合わせを大熊先生と瓜生さんと私で、お互いのプレゼンテーションをした後に、「自分が老いを感じることについて」「自分が死をどのように迎える準備をしているか」について話そうということを申し合わせた。
講演会全体の指揮は、高齢福祉部高齢福祉課の大野課長が執ってくれた。2時ぴったりに、大野さんから「マイクはoffにしてありますから、onにしてからお話しください。ではどうぞ」と合図をくれた。おお、かなり人が入っているぞ。さて、マイクをonにして、と。慌てずに演題の上で読み原稿を開いて挨拶を始めた。
「皆様、今日は雪がぱらついたようですが、お寒い中を私共世田谷区医師会高齢医学医会主催の第一回区民シンポジウムに足をお運びくださいまして誠にありがとうございました。主催者を代表しまして一言ご挨拶申し上げます。
私どもの医会は、世田谷区医師会の中に、昭和41年10月に発足いたしました。当初老人科医会と称しておりましたが、日本の高齢化社会に対応する医学・医療を扱う専門グループとして、2年前に高齢医学医会と名称を変更し、さらなる活動を発展させることとなりました。今回のイベントはその一環でございます。
我々医療者は、病院の中で忙しく働いている為に、とかく社会に目を向けることが疎かになりがちです。そのため、医師は病気は見ても人を見ないという批判を受けることも少なくありません。本来なら、生まれてから死ぬまでの、人の一生に寄り添い、その人の良き隣人であるべき専門職が医師であろうと思います。
世田谷区でも、高齢化率が20%を超えて、5人に1人が高齢者という地域になりました。幼少児にとっては、心身が未発達な為に、成人とは違う、小児医学という枠組みが大切です。それと同じく、高齢者にとっては、体力、気力、筋力の衰えや、免疫、代謝、認知機能の低下という、勤労世代の成人とは違った生命環境の変化が生じており、その為に高齢医学という枠組みが必要となって来ています。
加えて、高齢者には尊い命に残された時間が限られており、それをどのように生きるか、その命にどのように寄り添うかが、我々医療者にも問われる時代になってまいりました。
本日は、こうした問題を、区民の皆様とご一緒に考えたいと思っております。
まずは大熊先生から基調講演を頂き、その後に世田谷区高齢福祉部長の瓜生さん、そして私がシンポジストとしてブリーフコメントを行い、最後に3人でシンポジウムを行う、というスケジュールを組んでおります。
どうぞ最後までお付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。
それからの司会は私が担当。大熊先生を紹介し、舞台に登場して頂いた。事前の打ち合わせで先生が「わたくし、長く立ってお話をするのはつらいので、座ってお話ししても良いかしら?」とおっしゃるので、急遽ピアノの椅子を用意した。
講演&シンポジウム
大熊先生はスライドを使って丁寧にお話になったが、後のシンポジウムで「Power pointがなければとても長い話は出来ません」とおっしゃっていたので、スライドの資料がなければ、時系列や人や物の名称を忘れて前に進めず、勘違いや言い間違えが起きてしまうのだろう。78歳の老人にとって、PCは第二の脳なのだ。
元朝日新聞の記者らしく、日本の医療や福祉に厳しいご意見を、ソフトな語り口でぐさりと刺すところは年に関係はなさそうだ。北欧の福祉を理想として、お母様を自宅で介護した経験は、今の日本の在宅医療、在宅介護が限りなく福祉先進国に近づいていることを印象付けた。
基調講演の後は数分場面転換に時間を要したが、スムーズに舞台を整えて、まずは世田谷区高齢福祉部長の瓜生さんが、世田谷区の高齢者が置かれている現状を報告。次に私が「老いについて」の医学的なお話しを、特にLiving WillやAdvance care planning(ACP)についての説明をした。
シンポジウムでは、まずシンポジスト本人が老いをどのように捉えているかについて話し合った。大熊先生は78才。私が68才、瓜生さんが61才ということで、世代間の違いが見える面白い展開になった。大熊先生は、先ほどのPower Pointのお話をされて、講演した時に椅子が必要だったこともお話になって、身体的な老いをひしひしと感じておられる様子が見て取れた。私はといえば、この歳で普通二輪の免許証を取得したお話をした。これ以上老いが進むと、やりたいことが出来なくなる、その焦りで取った免許だった。しかし、30才代を100%とすると、平衡機能はすでに20~30%程度に低下している。そのために、教習所で何回も転倒し、骨折こそなかったものの、擦り傷、打ち身、靱帯損傷、関節亜脱臼など、高齢者が二輪免許に挑戦することが大変だというお話をした。瓜生さんからは、「還暦を過ぎました」という以外、老いについての具体的なことは感じていないようだった。
次に、シンポジストが死をどのように捉えているか、どのように迎えるつもりなのかについて話し合った。私は20年ほど前に実家を改築した時に、死を迎える場所をイメージして寝室やテラスを設計したことをお話しした。大熊先生は、中庭を見ながら死にたいとのこと。瓜生さんはまだ死をイメージすることはないようだったが、「ピンピンコロリと逝きたい」と元気な声を聞かせてくれた。最後は私が「ここでシンポジストの方が話されたことを参考に、皆さんのご家族で老いや死について話し合う時間を作って頂けたら幸いです」と締めくくった。
厚労省は11月30日を「人生会議の日」と定めた。ACPでは分かりにくいからだ。瓜生さんからは「この1月12日を私の人生会議の日として家族で今後は話し合ってみたいと思います」といっていただいた。世田谷区では、世田谷区医師会高齢医学医会主催第一回区民シンポジウムが開かれた、この1月12日をみんなで考える日にする、というのは良い案かもしれない。
<資料>
- 1) MAASAN:
- https://jingisubar-maasan.jimdo.com/
- 2) 孤独のグルメTBS:
- https://www.tv-tokyo.co.jp/kodokunogurume/
- 3) 孤独のグルメWikipedia:
- http://bit.ly/2SS5LAc
- 4) 厚生労働省:
- http://bit.ly/2SYDnMR