神津 仁 院長

神津 仁 院長
1999年
世田谷区医師会副会長就任
2000年
世田谷区医師会内科医会会長就任
2003年
日本臨床内科医会理事就任
2004年
日本医師会代議員就任
2006年
NPO法人全国在宅医療推進協会理事長就任
2009年
昭和大学客員教授就任
2017年
世田谷区医師会高齢医学医会会長
2018年
世田谷区医師会内科医会名誉会長
1950年
長野県生まれ、幼少より世田谷区在住。
1977年
日本大学医学部卒(学生時代はヨット部主将、運動部主将会議議長、学生会会長)
第一内科入局後、1980年神経学教室へ。
医局長・病棟医長・教育医長を長年勤める。
1988年
米国留学(ハーネマン大学:フェロー、ルイジアナ州立大学:インストラクター)
1991年
特定医療法人 佐々木病院内科部長就任。
1993年
神津内科クリニック開業。
11月号

ドクター神津、市場へ行く

築地市場

 先月10月6日に築地市場が最後の日を迎え、豊洲に移転した。江戸時代、魚市場は今の銀座三越あたりに「日本橋魚河岸」としてあった。もともと築地にあったわけではないので、その時代時代で移り行くのは仕方がない。

 文化人類学者のテオドル・ベスターによれば、17世紀から18世紀初頭にかけて、江戸の人口は急速に増えたという。1600年頃の江戸には、数千人規模の住民がいるだけだったが、1650年代までに50万人近くに達した。18世紀初めには100万人、1720年代には130万人を数え、当時のロンドンの人口60万人、北京の人口100万人を超え、世界最大の都市となっていた。当然、江戸の人々の台所としての魚河岸も、拡大発展を遂げていた。

 築地のある場所は、もともとは隅田川河口沿いの低湿地に人工的に埋め立てられた土地であった。幕府は江戸城の周囲に堀や運河を作るために大規模な掘削を行ったのだが、その際に大量の土砂が生じ、これを利用して新しい土地を造成した。そこには上流階級の大邸宅が出来、江戸商業地区の拡大増殖が始まり、西本願寺が浅草から移転したりと、様々な土地利用が行われた。

 1869年から70年にかけて、徳川幕府が外国人を集めて住まわせる準備を始めたのだが、大政奉還を経て後に明治政府が外国人居留地を開いた。実際には外国人には人気がなかったというが、この地に住み着いた外国人伝道師によって、聖路加病院、立教大学、明治学院大学、青山学院大学などが創設された。しかし、1923年の関東大震災によって壊滅的な都市の崩壊を生じた後に、日本橋魚河岸は築地に移転することとなる。

 今の築地市場の施設が新しく完成したのは1935年。日本橋の問屋が大勢まとまって大規模な卸業者(東京魚市場株式会社)を作り、せり方式を基本とした新たなルールの下で市場に魚が供給されることになった。それから83年、魚市場は再び移転して豊洲市場が開かれた。

市場に行ってみよう

 築地には一度行ってみたいと思っていたが、世田谷区に住んでいると、都心へ向かうのはなかなかハードルが高い。朝早起きしても、行き帰りに時間がかかるから、診療に差し支えると躊躇していた。外国旅行に行けば、必ずといってよいほどお土産品を探しにその土地の市場に行くのだから、その魅力はわかっている。今回の築地移転で、日本の市場というところに行ってみたい気持ちが高まってきた。

 羽田空港へは世田谷から環状七号線を下って海岸へ向かう。飛行機を使う旅行の際には、日本国内でも国際線でも必ず通る道だ。その道の途中に大田市場はあって、青果市場では日本一という噂は聞いていた。築地市場が豊洲に移る際には、築地の卸業者の一部が大田市場に移ったという話も聞こえて来て、魚市場もあるのだということも分かっていた。しかし、なかなかそこに行くのを目的にするという時間的余裕もチャンスもなかった。

 大田市場の下調べをするためにインターネットで情報収集していると、築地と同じく、市場で働く業者の人、ここで仕入れる小売店の人たちのために、安くて美味しい食堂があることを知った。それなら市場に行くという目的以外に、市場にある食堂に行くというのも一つの案だと思いついた。営業時間は月曜から土曜日までの朝6時から午後2時まで。診療の合間や終了後に行くわけにはいかない。それならば朝6時に行って、1時間ほどいて帰ってくれば7時半には家に着く。それからシャワーを浴びてクリニックに出社しても間に合うに違いない。早速その予定で計画を立ててみた。

大田市場のこと

 東京都は、既存市場が狭くなってきたことと配置の適正化のため、昭和30年代から新市場の建設を計画していた。しかし、型の如く東京都知事が変わるごとに、その計画は中止になったり再開されたりで翻弄され続けた。その後ようやく施設が完成し、秋葉原駅前にあった神田市場と五反田にあった荏原市場(蒲田分場含む)を統合して、青果部が平成元年5月6日に業務を開始した。また、平和島にあった大森市場を収容し、築地市場の一部業者も統合して水産物部が平成元年9月18日に業務を開始。さらに、城南地区に点在していた9つの花卉(かき)民営地方市場を統合し、花卉部が平成2年9月8日に業務を開始した。

 大田市場は大田区の臨海地域にあって、上の写真の如く約40万平方メートルの広大な敷地を有し、隣に野鳥公園、南側には羽田国際空港、東側には東京港、北側にはJR貨物基地、真ん中を貫くように首都高速湾岸線が通っており、物流の拠点として申し分ない環境の中で市場業務を展開している。青果部、花卉部は日本一の取扱規模を誇っていて、大田市場での決定価格が日本全国の市場の指標となっている。青果部では市場機能をさらに高めるため、平成19~22年度にかけて4つの屋根付積込場と、民間活力を活かした低温立体荷捌場を建設した。屋根が設置されたことにより、晴れの日には日光に当たることなく、雨の日には雨に濡れずに卸売場から買受人のトラックまで届けることができ、衛生的に輸送できるようになった。

バイクは自由度が高い

 「東京の中央卸売市場で唯一、見学者のための展示室や見学コースが設けられ、都民が親しめる市場となっています」とホームページには書かれているが、見学のための自家用車は市場内に入れない。許可証がないと守衛に止められて入場は出来ないことになっているようだ。だから、バスを利用するか、大分離れた有料駐車場を利用するしかない。しかし、自転車で市場を見学した人のブログを読むと、場内の駐輪場に置くことが出来たとある。自転車もバイクも二輪車なので、ひょっとするとバイクを置けるかもしれない、と思った。確かめるために市場の事務所に電話をかけてみると、
「バイクでそちらに行きたいのですが、バイクの駐輪場とかありますか?」
「はい、ございます」
「自転車じゃなくて、400ccのバイクなんですけれど」
「はい、二か所ほど駐輪場がありますのでそちらに止めてください」
との返事だった。バイクは自転車扱いなのだと、ちょっと嬉しくなった。

 後日、土曜日の朝5時に起き、バイクに乗って大田市場まで30分ほどのmini tripに出かけた。ぐるなびで下調べをすると、三洋食堂のアジフライ定食が美味しいと書いてあった。10月も半ばにもなると日の出は遅く、まだ暗さが残る。夏のメッシュライダージャケットでは少し寒いだろうと思ってヒートテックを下に着こんだのが正解だった。風をもろに受けるバイクは自動車とは違う。ひんやりとした空気を身体で感じると気が引き締まるようだ。

 教習所では路上訓練はなく、公道で走る機会は全くなかったので、自分のバイクを新宿区のバイク屋に取りに行って、世田谷まで乗って帰るのには大変な思いをした。実際に乗ってしまえばどうということはないのだが、それまでの数日は、ナビアプリで経路検索して、ここはこうして走ろう、ああして走ろう、坂があって途中で止まったらどうしよう、などとやたらと心配して前日は眠れなかったのを覚えている。

 その後、第三京浜 - 横浜新道を通って江の島までshort tripしたり、神奈川県清川村にある京ヶ瀬湖までツーリングをして、中央高速 - 東名高速を経験した。しばらく乗らないと走行技能が落ちているのを身体で感じる。教習所で教わった、後方確認、knee grip、右足を着かないで後輪ブレーキを上手く使うことなどがいかに大事かを、バイクに乗るたびに思い出しながら、毎日が練習だと思って乗っている。

市場は思ったよりWellcome

 大田市場に着くと、守衛さんが場内の地図をくれて「関連棟のここら辺りに駐輪場があるのでどこでも止めてください」と親切に教えてくれた。車では入りにくいターレーが動き回る脇道を、駐輪場を探してあちこちと走ってみたが、自転車置き場にはあまりバイクを置くところがなかった。しばらく探していると、車一台分の空きがあったのでそこに止めることにした。こんな時に余裕をもって移動・駐車が出来るのはバイクならではだ。やはりバイクは自由度が高いのだ。バイクを止めて、市場内で働いている業者の人に「三洋食堂はどこですか?」と聞くと、「ここの棟にはそうした店が集まっているからすぐわかるよ」と笑顔で教えてくれた。2-3分歩くと、ひと際目立つ看板を発見。お客は2-3人と少なく、手持無沙汰だったか店員の白髪の女性が「どうぞ」というので、ヘルメットを持ちながら座席に着いた。どれも美味しそうだったが、「始めました牡蠣フライ!」の文字が目に入ったので、岩手県産の生牡蠣フライ定食を頂いた。形は不揃いで衣も乱雑だったが、久しぶりで朝定食を美味しくいただいた。

 帰りに果物の小売店があって、キウイとグレープフルーツが1山300円と書かれていた。私はキウイが好きなので、ゴールデンキウイを買って土産に持ち帰った。次の日の夕食の後に食べてみたが、今まで食べたキウイの中で一番の、それは素晴らしい味だった。世田谷の地元で評判のスーパーマーケットの品と比べても、市場の方が数段上の美味しさだ。さすがにプロを相手にする小売店は違うなと舌を巻いた。
 早起きは三文の徳、というが、その通りだと思う。そして、実はそこに行かなければわからないfactがある。ドクターのskillも、artisticな診療も、さすがといわれるように日々研鑽しなければ、と改めて感じた市場探訪だった。

<資料>

1) テオドル・ベスター(和波雅子、福岡伸一訳)
「築地」木楽舎、2007年(二刷)。
2) 東京都卸売市場「大田市場のご紹介」
http://www.shijou.metro.tokyo.jp/info/03/

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