伝統とは、成功した改革の積み重ねである
この言葉は、イタリアのバローロという長期成熟型の美味しいワインを作る、新しい作り手たち「バローロボーイズ」のリーダーである、エリオ・アルターレの農園に掲げられている言葉である。父親と大喧嘩をして、伝統的なスロヴェニア産の大樽を破壊してしまったというのだから過激だが、フランスからのオーク樽で作られたバローロは、以前にも増して賞賛されている。Scrap and buildは常に必要なprocessなのだ。
今、私の手の中にあるのはi Phoneという新しいマルチメディアだ。携帯電話を何年かに一回私の誕生日に妻からもらうことになっているのだが、今回は値段が高いので兄弟と一緒に合資して誕生祝いにしてくれた。
誕生祝いをやけに早く頂けると思ったら、買うのに大変な時間と労力を使うことに驚いた。今時の買い物は、いわゆるインフォームドコンセントが大変重要になっているらしい。昔アメリカにいる時に、車を買うためにディーラーで長いチェックリストを、いちいち読み上げながら確認させられたのを思い出した。
手の中のi Phone
後ろの写真は、前田真三氏の撮った、ドクター神津の本家
「佐久市志賀の赤壁の家」
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このサービスは付けるか、このサービスはこうすると割引になるが申し込むか、このサービスはこうすると契約違反になるので注意せよ、暗証番号は、自分を証明するIDは、等々大変長い時間をかけて販売員がケアしてくれた。とにかく、売る前に「これから説明が40分、品物が手に入るまでが30分以上かかりますがよろしいですか?」とご丁寧に聞いてくれる。時間がなければ欲しいものも手に入らないというわけだ。その間、量販店の簡易ブースで立ち続けなくてはいけないから、体力も必要だろう。大変な時代になったものだ。
携帯電話のサービスはSoftbankが提供するのだが、i PhoneそのものはMacなのだ。使い慣れていろいろと触っているうちに、これはコンピューターなのだと次第に理解してきた。しかも、通信機能と情報採取機能を最も重視した、今までの次元とは違うタイプのコンピューターなのだと分かってきた。i Podを使ったことのある人はよく分かるだろうが、i Tuneというソフトに情報を入れて、それと同期させることによって情報をPC以外に持ち出して楽しむことができるというわけだ。
初めは音楽と写真が、そのうちDVDや動画を視聴できるようになった。i Phoneも同じで、i Tuneを起動させて音楽や動画を取り込むことができる。それにカレンダー、メモ帳などが付いていて、地図とGPSを連動してカーナビのような動きもできる。写真も撮れれば、メールも送れる。あれこれとこの一台で一日過ぎてしまう。しかし、テレビもラジオも視聴できないから、他のメディアとの過当な競争はなさそうである。最近は、無線LANといってワイヤレスでインターネットに繋ぐことができる。30年前には四角い箱だった「Apple」が、アメリカ留学の際にはマッキントッシュという新しいパソコンになっていた。しばらくしてMac G3というものが出来て、今は、私の手の中に新しいtoolが収まった。
4月11日に、あるシンポジウムが開かれる。私もパネリストの一人にお誘いを受けている。7~10人がパネルに参加するので、一人3分の発表時間といわれている。あまり発言が出来ないかもしれないので、ここで少し私の考えを述べておきたい。
その際に「現状の医療のどこが問題だとお考えですか?」と問われるらしいので、いくつか論点を整理しておきたいと思う。
■医療そのものに問題は少ない。
認知症でいえば、中核症状は落ち着いているのに、周辺症状が強い、といえばよいか。医療そのものは時代により変化し、近代的な技術の導入とともに洗練されて、今の日本にある。多少の未熟さはあるが、それを補ってきちんと医療の中核にいる優れた医師たちが日本には多いと考える。
その逆に、医療を取り巻く周辺の状況は決して良いわけではない。これはただ日本の問題だけではなく、医療の変化に追いついていかない社会のあり方、生命倫理の考え方、医療と社会とのコミュニケーションのあり方は世界中そう変わりはないのではないかと思う。
あえていえば、
・ 医療へのアクセス、
・ 医療からの情報発信、
・ 医療を政治的、経済的なmatterとしている現状、
などに問題があることが多いのだろう。
日本の場合、医療に従事するスタッフについていえば、欧米における、医師をサポートするスタッフの充実した環境に比べて、日本の状況は医師の業務をサポートするスタッフがかなり少なくて、医師に多くの負担がかかっているといえる。
日本でも医療秘書・医療事務というスタッフを教育・育成する専門学校があり、その卒業生が病院で働くことが多い。しかし、実際には彼女たちが行う業務は「秘書」ではなく、ほとんどが診療報酬に関する事務手続きをしている。欧米のように、医師を助けているのではなく、病院のために医師の働きを診療報酬という収入へと変換するために日夜働いている。
アメリカで私が働いていたハーネマン大学、ルイジアナ州立大学とも、診療を担当する医師は自分がディクテーションしたテープを秘書に渡し、出来上がってきた書類に目を通して、間違いを訂正し、最終的に出来上がったものにサインをする方法をとっていた。そのために、実際に多くの秘書が雇われていた。医学用語が頻繁に出てくるテープを聞いて文章に起こすためには、かなりの知識と技能が必要だ。キーボードを叩く速さも雇用条件だというから、秘書として選抜されるためにはかなりの努力が必要なのだと思う。アメリカの医療の周辺に関わるスタッフの層の厚さは大したものだ。
アメリカの医療現場では、テレビのERを見て分かるように、さまざまなスタッフが医師を応援する。日本では、何でもかんでも医師がやらないといけない状況がある。この違いはなんだろう。
アメリカでは、専門職に対する考え方が拡散的だ。エントロピーの法則通り、コア部分から次第に外へと専門性を薄めて多くの人材が関与する。いちばん外側には、筋肉労働のみの労働者がいて、清掃や運搬業務を担当する。そのために雇用が生まれる。賃金はコア部分が最も高く、専門性の高さは常にそのライセンスを維持するという強い緊張感に比例して高額になる。専門家としての医師は、専門性の薄い仕事をすることはないし、むしろそうすることは専門性の薄い人たちが確保しているある部分の権益を侵すことになる。だから医師は自分の専門以外の事に手を出すことはないのだ。
ところが、日本の医師たちは、そうした専門スタッフを養成するというシステム構築を、欧米に比して意図的に遅らせてきた嫌いがある。医療の高度化に対して、多くの職種(co-medical staff)をつくってうまく対応してきた欧米と違い、日本では医師のみをそれに対応するといった、医師にその責任と権益とを雪だるま式に膨らませて医師の仕事を増やしていったという過去がある。組織としての日本医師会がそれを望んできたこととも関係があるだろう。医療に関係する既得権益を医師が占有したいという思惑があったからだろう。
■医療を提供する場としての日本の病院はそもそも奇形
視点を少し変えてみよう。医療に関する知識や技術の普及は、明治政府の喫緊の課題であり、早急に西洋医学を日本中に広めなければならなかったので、優秀な医師を養成し、その個人的な能力に依存してきたという歴史的な状況があった。
東京帝国大学を中心に、ドイツから直輸入した医学・医療を体系化し、医学部にて優秀な医師を養成する。そして、ここで教育された医学者を政府が各県に作った大学に赴任させた。ドイツの研究所医学を踏襲した医学者は、患者を「学用患者(学問のために実験台となる患者。治療費はもらわなかった)」として研究・教育用に集めた。
その当時の日本では、開業医がかかりつけ患者を連れて、施設としての病院を利用するという、欧米のような「クリニック」と「ホスピタル」の機能分化は未熟であったので、大学病院で入院治療した患者は再び大学病院の外来で診療するという、病院にクリニックが併設された「日本式病院」となるのだが、これは世界的には類を見ない歪で、奇形ともいえる医療機関であった。その後、このシステムは今に至るまで多くの問題を抱えるようになった。
日本の病院は、病棟医が外来も診る。あるいは外来医も病棟の入院患者を診るという、一人二役によって成り立っている。欧米に比して医師の数が少ないのは、こうして医師が二役も三役も引き受けていたからともいえる。大学病院に至っては、大学の教師が学生教育をしながら病院の診療部長や科長を引き受け、診療・手術を行なうのは当たり前のことだ。医長は病棟医の責任者となりながら外来医として外来患者を診る。中堅の医員が病棟主治医で外来患者を診療し、検査や手術の助手を勤める。学生教育は大学だけでなく病棟でも臨床実習を引き受けるから、以前の私のように医局長をして病棟医長をしている医師は大変だ。
私はといえば、ポリクリという学生の臨床実習を引き受け、週に3日の外来診療、加えて脊髄動脈造影や脳血管撮影、筋電図の検査をこなし、さらに実験をしてデータを出して、学生の講義をして、学会の準備、論文を書き、会議に出て、さらに週一回の当直をしていたりすると、働いている自分のエンドルフィンというか脳内モルヒネが出っぱなしになって、恍惚として動き回り、与えられた仕事をこなすだけで、その状況を判断することが出来なくなっていたようだ。勤務医は、特にこうした忙しい状況をこなす能力のある勤務医は、その状況に自己満足し、自分を苛めて、それに打ち勝っている自分を勝利者のように思って酔っているのかもしれない。まるで、北朝鮮で洗脳されたように。
この状況は程度こそ違え、欧米でも似たようなことが若い勤務医に起こるという。そのために、麻薬やLSDに走る若い医師が増えて大問題になった。睡眠を十分にとれず、昼間にもボーっとした医師が、さらに麻薬を使ってギリギリのところで医療を行なっていたら、そこには事故が起こることが目に見えている。アメリカの消費者は、こうした勤務医の状況を知って、こうした医師が診療することによって自分たち患者が被害を受けるのは堪らないと、1970年代に勤務医の勤労状況を改善させるように病院管理者や国に働きかけた経緯がある。日本は、今ようやくこの医療者という特殊な人々の環境に思いをはせるようになってきた。
■人と向き合う医療をめざして
「医療」とは、医師を中心として疾病を治療し、健康を維持・促進し、さらに、新たな疾病を予防するために行われる、社会科学的な活動を総じていう言葉と定義することにしよう。「地域」とは、そこに住む人々が時間的・空間的な事物を共有し、文化的・歴史的な記憶や生活態度を共有する場所のことをさす。よって「地域医療」とは、地域に根ざした「医療」を展開するという意味になろうか。
このように医療や地域を定義すると、コミュニティーの人々に対して、我々医療者が保険医療で貢献できる可能性は、実をいうとかなり少ないのだ。
昨年、私は「(株)佑グローバル・サイエンス」という会社を立ち上げた。「医療」のうちの、「健康を維持・促進し、さらに、新たな疾病を予防するために行われる、社会科学的な活動」を行なうためである。
3月26日には、世田谷区若林で「血圧測定教室」をコミュニティーの町会とともに行なった。66人という多くの地域住民が集まって、血圧を測ることの重要性と測定のノウハウとを学んだことは重要であり、医療の専門家が、診療という枠外で、社会貢献の一環として働くことが出来ることを示したエポックメイキングな活動であったと考えている。
最新式の電子血圧計を用いて、66人が一斉に(20人ずつ3回に分けて)測り方を学ぶ
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■伝統は改革とともに・・・
実は現場では、かかりつけ患者さんたちの約80%以上は、自分たちのかかりつけ医の診療に対して大変満足している。医療のコンプライアンスを探るために、地域でアンケート調査をすると必ずこうした結果が出る。同時に、かかりつけ医もかかりつけ患者さんを診ることに喜びを感じている。そこには良い信頼関係があり、この関係を良くする方向へと日本の医療を進めて行く必要があろう。
そうした意味では「人と向き合う医療」にこそ日本の医療が向かっていくべきだろう。検査をしなければ医業収入が上がらない、という現状をなんとかしなければならない。日本の窓口負担は世界一高いといわれる。負担感なく医療機関にかかれて、医療機関に対しては自らの再生産、自己革新することの可能な利益を保証する必要がある。検査は必要なものだけ、説明は分かりやすく、理解しやすく、自己決定しやすく、孤立させない環境を作ることが大切だ。
今現在有効な治療法がなくとも、将来の希望とともに命尽きるまで患者と寄り添って、共に手を携える医療を目指さなければならない。生きることも死ぬことも医療の手の中にあるのだから。
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