ドクタープロフィール
神津 仁 院長
神津院長は昭和52年に日本大学医学部を卒業後、同大学第一内科に入局され、その後、神経学教室が新設されると同時に同教室へ移られました。医局長、病棟医長、教育医長を長年勤められ、昭和63年、アメリカのハーネマン大学およびルイジアナ州立大学へ留学。帰国後、特定医療法人佐々木病院(内科部長)を経て、平成5年に神津内科クリニックを開業された。神津院長の活動は多岐にわたり、その動向は常に注目されている。
2008年8月号
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医の心 Ⅰ


 今日は医師会業務で日曜日にもかかわらず朝の9時から夕方の5時まで缶詰になっている。医師会館の2階に「テレホン相談」の部屋があり、二人の事務スタッフとともに専門職として待機しているというわけだ。二人とも熟練したスタッフなので、世田谷区民の「熱が出ているので今やっている小児科を教えて欲しい」などというSOSにテキパキと対応している。
 世田谷区医師会は開業医A会員が約490、診療所勤務医、病院勤務医、それに廃業した医師を合わせると740人の大所帯だ。世田谷区医師会、玉川医師会と二つの医師会が世田谷区にはあり、世田谷区民820万人の健康を守っている。日曜祝日は十数軒程度の医療機関が当番制で開いていて、休みに病気になる人々を診療している。しかし、区民にはどこでどんな医療機関が今開いているのかが分からないので(勿論、インターネットを見たり、東京都がやっている医療機関紹介システム”ひまわり”に電話をかければ知ることが出来るのだが)、まずはこの「医師会テレホンセンター」に電話してくるというわけだ。地域医師会も結構良いことをしている。

テレホンセンターの壁には医療機関の名前の入った世田谷区全域の地図があり、休日診療の医療機関に印がついている

 医師はというと、優秀な事務スタッフが電話の応対をテキパキとこなすので、あまり出番がない。出番がない方が良いのは警察や消防署や救急外来と同じだ。それで私などは日頃出来ない書き物や研究のまとめなどを持ち込んで、一日誰にも邪魔されずに没頭できるというわけである。今回も、先日日本神経治療学会で座長をした後の「パネルディスカッションの司会を終えて」という学会誌に載せる一文を書き終えた。
 時間があるので部屋の中を見回すと、本棚に「対談 医の心―先輩医師に学ぶ」という本が目にとまった。日本医師会生涯教育シリーズの36から、第1集、第2集、第3集と三冊ある。手に取ると、日本の先達たちが綺羅星の如く並んでいる。読んでみると、なかなか含蓄のある話が多い。私も知らなかったくらいだから、日本医師会のこんな本が会員諸氏に読まれているとは思えないので、その中から何人かの言葉を抜き出して皆さんとその一言一言を味わってみたい。


小林 登、元国立小児病院院長
「いわゆる乳児期、言葉が出るまでの間は母子関係は特に重要だと思います。もちろん父親のほうも重要ですが、その間に基本的信頼(basic trust)といいますか、自分は愛されている存在であるとか、生きて行くこれからの社会は平和であるというような考え方を、子供の心に刷り込ませてしまうことが重要だと私は考えています」


若月俊一、元佐久総合病院院長
「『地域とは何か』、ということになると、それを英語でcommunityというだけではだめだと思うのです。少なくとも戦前のマッキーバー(Maciver)の社会学を学ぶ必要があると思うのです」「今の日本の『医療費低減政策』、あれは世界的に見てもひどい政策ですね。あんなにひどくする国はないでしょう」


祖父江逸郎、愛知医科大学学長
「私が強調していることのひとつは、臨床の中では、診るということだけでなく、考えるということが大切だということです。診る、考える、そしてまた診るという繰り返しによって、正しい情報をたくさん集め、その情報を整理・分析して、正しい診断と治療につなげることが大変大事だと思います」


岡本道雄、国際高等研究所理事長、京都大学名誉教授
「人間の心というものは体とはっきり分けられるものではありません。体が弱ると心も弱くなるし、心が嬉しいときには体の調子も良くなります。そのように、心身というものは本来一体のものなのです。それを分けているためにいろいろ問題が起こるのです。もうひとつは、医学というものをやるためには、しっかりものを考えるくせをつけなければいけないということです。医学生が科学技術を学び、単にそれを人間に応用するだけではいけない。考えること、すなわち哲学するということが大変大事なのです。最後に、現代の科学技術というものに完全に乗りかかっている現代医学というものには、どこかに欠点があるということを忘れてはいけません。科学技術というものはこれまで人間に多くの幸せをもたらしてきましたが、同時にそれが地球をも滅ぼすくらいの危機をもたらしているという事実をしっかり見据え、医学に応用する際には慎重にやっていただきたいと思うのです。」


吉川政巳、東京大学名誉教授、(東京大学の老年学教室初代専任教授)
「最近WHOの国際疾病分類の中のICD-10(国際疾病分類10、International Classification of Diseases)が出ましたけれども、さしあたっては、これをよく理解して活用することが必要ではないかと考えています。ただ、これは主に疫学的な分類をされており、多年の集積で疾患の数も多く、日本ではあまり遭遇しないような稀なものまで全部整理されています。ですから、ICD-10の自分の職場に適した部分を頭に入れておいて、診断に利用する。そうすれば、個人個人を全人的に診察することに役立ち、誤診、見落としなどをかなり防げるのではないかと思います。要するに、ICD-10の活用が、個人全体を勉強するのに、ひとつのよい手段ではないかと思います。」


田中健蔵、九州大学名誉教授、福岡歯科学園理事長
「私は、臨床家としても、基礎の学者としても一番大事なことのひとつは、“周到な観察と深い洞察”を絶えず心掛けることだと思います。動脈硬化症には臨床的にいろいろなリスクファクターがあげられていますね。いろいろな要因が組み合わさって動脈硬化は発生し、進展し、ある場合には治ることもあります。多元的な病気で起こってくる病気、あるいは病変を解析する時は、一部分だけを見ていてはいけない。一部分だけを見て全体がわかると思ってはいけないと思います。全体を見ることを絶えず心掛けなければ。たとえば、動脈硬化は一般的に、コレステロール、肉食が原因と言われていますが、それだけではないのです。壁在血栓形成、ストレス、高血圧、高尿酸血症など、いろいろなことが関係します。凝固線溶系も関係します。動脈硬化は種々の障害因子に対する生体反応という立場から考察しなければならないと思います。患者さんを診断する時に、あるいは患者さんとお話をする時に、常に多元的に、多角的にものを見ることが、本質に至るための重要な要素だと思います。」


竹内一夫、杏林大学学長
「医学は非常に細分化されて、専門化され、若い人たちも先を急いで専門家になろうとしているように思います。しかし、何をやるにしても、やはり基礎が大切だと思うのです。私は虎ノ門病院に勤務していた時代に沖中重雄先生から、『専門バカでは困る』とさんざん言われました。これはありきたりの言葉かもしれませんけれども、やはり富士山のように広い裾野を持った専門医や臨床医になるように、ぜひ心がけてほしいと思います。」


野田起一郎、近畿大学学長
「今、世の中で一番問題になっているのは、医の倫理ということですね。マスコミもそうだし、一般の人も『医師ともあろうものがどうしてこんな…』というようなことをよく言われます。世間が求めている理想的な医師像というものを突き詰めていきますと、決して誤診をしない、夜中でもにこやかに患者に接し、金銭欲のない、奉仕の精神に溢れた医師ということになりましょう。これは神様でないと持てないような倫理感なのです。私は、医師というのは一般の人間としてのモラル、人間としての倫理感を最低限持っていなくてはいけないのは当然のことですが、その上に医師としての倫理感を重ねて持つという必要があると思います。しかし、すべての医師が神様のようでないといけないということだと、当然のことながら日本の医療は成り立ちません。ただ、一般の方々は医師に神様を求めているということだけは、常に胸にとめておく必要があると思います。そして、それにできるだけ近付くような努力をいつもしなくてはいけないと思うのです。実際に医師の仕事というのは、神の領域に踏み込んでいる部分がありますね。たとえば、胚移植の問題にしてもそうでしょうし、癌患者のキュアとケアの問題もそうです。キュアをあきらめてケアにしようという判断を医者がするというのは、一部神の領域なのです。だから、そういうことをしなければならない職業なのだということを、きっちりと胸に刻み込んでおかなくてはならないと思います。ですから、数学がどれくらいできるかということより、臨床家には人間らしさ、温かさ、ヒューマンな心根や謙虚さ、そういうものを基本に持つということが一番大事なのです。」

「医の心」は日本医師会発行の生涯教育シリーズの一つ。第1集から第3集の三冊に分かれている

医の心は、長い悠久の歴史の中でそれほど変わらずに我々一人一人の医師に伝えられている気がする。個々の医師の個性を超越した、プロフェッショナルが持つ研ぎ澄まされた何かがそこにはありそうだ。


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