「世界は病人に支配されている」
安倍首相が退任をした時に、ふと頭に浮かんだのがこの「世界は病人に支配されている」というフレーズだ。ずいぶんと前のことだが、おそらく20年以上前になるかと思うが、文芸春秋の見開き1ページにこの記事が載っていた。著者は思い出せないが、なるほどと思わせる興味深い読み物だった。米ソ対立の構図があった当時、ケネディアメリカ大統領、フルシチョフソ連首相、ドゴールフランス大統領などが患っている病気について紹介し、その病気から生じる性格や心理状態が、それぞれの政治活動や意思決定に影響を与えた可能性について書いてあった。
ケネディ大統領は、白黒テレビの時代にはあまりよく分からなかったが、カラーテレビで見ると顔色の濃さが明らかだ。アジソン病というのがケネディ大統領が罹っていた病気で、副腎機能が障害されたために皮膚の色素沈着が起こっていた。史実によると、左右の下肢の長さが2cm違っていて家庭内では松葉杖が必要であったとか、第二次大戦の戦傷のために痛み止めを多量に服用していたとか、テレビに映る颯爽とした若い大統領像とはかなり違う。当時は米国のメディアが作り上げた虚像そのままが日本に入ってきていたから、アメリカンドリームを素直に信じてしまったが、現実はかなり厳しいものだったようだ。
左がケネディ米大統領、右がフルシチョフソビエト連邦首相
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カラー写真で見ると顔色の濃さが良く分かる。
家族とのスナップ写真からケネディ氏の部分だけを切り取った。 |
ドゴール大統領は美食家で、糖尿病を患っていた。ロシアの初代大統領エリツィン氏は心臓病で、酔うと素行が悪かったという。勿論、病気があるからといってその人の人格を否定するわけではない。病気を克服しながら素晴らしい社会的活動をしている人はたくさんいる。民主主義社会では、多くの人たちが意思決定に関わるわけだから、トップといえども自分勝手な選択をするわけにはいかない。しかし、最後の最後に核のボタンを押す人物が、その時に病気であったら、と考えると怖い気がする。
安倍首相の急な辞職は、矢尽き刀折れ、という政治状況があったことは確かだが、胃腸系の異常がさらに心身を消耗させたに違いない。
私もインフルエンザA型に罹った時にかなりきつい思いをした。高熱の出る前の悪寒戦慄も苦しいが、熱発して体中の痛みと筋肉のだるさが始まると、このまま死ぬのではないか、という重病感に苛まれる。この苦しさが一日でも半日でも早くなくなって欲しいと願うから、抗インフルエンザ薬が効いてこの苦しさがなくなると実に安堵する。「半日しか罹病期間が短縮しないなら薬を使わなくても良いのではないか」と、医学者が知った顔をして持論を展開するのを時々見かけるが、こうした人は自分ではインフルエンザに罹った経験がないのだろう。医療の本質は患者の苦痛を取り除くことだ。医学者にはそうした感性のない人が実に多いのは困ったものだ。
話を元に戻そう。安倍首相が体調が整わずに各国の首相と会い、気力も根気もない状態でいろいろと話をし、交渉事を行なうとしたら、国益を損なう事態がないとはいえない。当然周囲が補佐するのだが、気力体力が充実していないリーダーに会った相手国の人たちはどう感ずるだろうか。
私の患者さんで、上場企業の会社経営者を指導する塾長のような方がいるのだが、その方の話では「安倍さんという人は『人事音痴』なんですよ。会社の経営者にもいますが、ああいう人に人事をさせたら、こうなるのは目に見えていますね」とのことだ。音痴は自分がオンチだとは思っていない。気持ちよく歌を歌っているが、音程が外れて歌がめちゃくちゃになっても気が付かない。聞くほうも大迷惑なのだが、それも意に介さない。人事オンチは会社も国も危うくしてしまうのだ。
その結果、周囲から非難されて、それでも自分ではどうして非難されるのかが分からない。選挙は水ものだ。選挙で勝ったり負けたりは政治家にとって日常的な出来事だろう。議員を長く続けていればそれなりの対処方法は知っているはずだ。それよりも、非難の渦に巻き込まれて心身を疲労させ、心の不調が身体の不調となって現れてきたのではないか。
報道されている症状を見ると、心身症としての「慢性胃炎(機能性ディスペプシア)」や「過敏性腸症候群」などを起こして衰弱していったのではないかと推測できる。「病気」は一国の総理大臣を辞職に追い込むほど大変なものなのだ。病気は治す事が出来る。この際はゆっくりと静養し、今後一政治家として腕を振るう場面が来たら、再び元気で登場することを期待したい。
それにつけても、国民が社会保障として最も必要な医療に公費を投じない、とまだ政府は考えているのだろうか?日本の国民は、すでに世界で最も重い自己負担を負わされているというのに、まだこの上我慢しているつもりなのだろうか?
神津内科クリニック近くの神社、雨上がりに祈る人を見た。