飛行場を飛び立って最初に見たのは、マニラの貧民街だ。トタン屋根の家々が高速道路の脇に密集する。川は凄まじく汚い。しかし、少し角度を逆に振ると大きなプールつきの家々が並ぶ高級住宅街が見える。このアンバランスな景色の対比に息を呑む。しかし、数分でこの景色は海岸線の景色に変わる。すぐに海である。東シナ海に面している砂浜を駆け抜けて、右90°に進路を取ってコレヒドール島へ向かう。日本がこの島には砲台をいくつも作り、トンネルを掘って戦闘機を隠していたとのこと。その一つ一つを空から見ることが出来た。朽ち果てた軍兵舎が昔の面影を残す。観音菩薩像のような日本の記念碑が建てられていて、その近くに米軍の記念碑があった。こうして観光名所になるほど平和な社会であってよかったと思える島影を後にして、次に海岸のリゾートを視察し、いよいよEddyさんの土地を見ることに。「How do you think about this area?」と彼が指差す土地は、青々と木々が茂り、美しい海岸線が続く広大なエリアだった。「It’s good! But whose land is this?」とイヤホン越しに叫ぶと、Eddyさんは「Mine!」と満足そうに笑った。このあたりの土地は、すべて彼の親族が持っていることは先に述べたが、日本のように切り刻んだ土地しか持てない地主のことを思うと、何という違いなのだろうと驚く。イギリスも、2000人ほどしか地主がいないというから、日本のように何人もの地主から許可を得ないと区画整理も出来ない国とは違って、開発も比較的スムーズに事が運ぶのだろう。どちらがいいとはいえないが、40年前に立てた道路計画がまだ完成しない我々の国のやり方がおかしいことは確かだ。
ヘリコプターは、ある瀟洒な別荘の上をホバーリングしている。Eddyさんの知り合いの家らしく、「Let’s say hallow !」と軒をなめるように飛ぶとメイドたちが手を振った。その後、ゴルフコースの上を飛び、ゆっくりとそのゴルフ場の芝の上に降り立った。こうした来訪は初めてのことではないらしく、芝刈りをしていた使用人たちが笑顔で迎える。クラブハウスのレストランはオープンエアで気持ちが良い。外は日差しが強いが、ここは爽やかな風が駆け抜けて心地よい。ここではココナッツの実そのままをきれいに割ったダイナミックなジュースを飲ませてもらった。薄い中身の果肉を掬って食べてみると、ぷりぷりした感触の何ともいえない美味しい果物の味だった。このゴルフ場のオーナーはイギリス人の女性で、この土地が気に入ってもう16年もここに住んでいるのだとか。他にペンションも持っていて、イギリスとフィリピンを行ったり来たりしているとのこと。私がアメリカに住んでいて、British Virgin Islandに夏休みに行った時にも、同じような人たちと出会った。彼らは50歳台に早めにリタイアして、40ftのクルーザーを買い、夫婦で海岸沿いに北米からカリブ海に下りて、これから南米へ行くのだといっていた。着港予定の港町には時々家族が待っていて、そこで再会を楽しむのだと。用事があれば船を港に舫いで、自宅にしばらく帰ることもあるらしい。そして、その用事が済めば、またゆったりと風の向くまま気の向くままの航海に出る。そんな素敵なretiree リタイアリーが、この世界にはたくさんいるのだということを知って、自分にもそんな人生が歩めるのだろうかと考え込んでしまったことがあった。しかし、今この開発事業に関わっていて、日本人でも何とかその夢のかけらを手にすることが出来そうな気がしている。あとは、誰がその切符を手にするかだ。
さて、お茶の時間も終わりにしよう、といったのは私だった。実は、出発の時にEddyさんが取った天候データによれば、3時頃に雨が降ることになっていた。私もヨット乗りだから、観天望気はお手のものなのだ。西の空から雨雲が近づいて来ていることを知っていたので、そう声を掛けたのだ。「I know, but I don’t care about rain.」と彼がいい、次はランチを食べに行こう、と中華料理店のあるゴルフリゾートに電話をして予約を取った。別荘のヘリポートからほんの5分のフライトで次のゴルフ場のヘリポートに着く。警察官のような格好のセキュリティーにチップをやって、誰も近づけないように、と念を押した。もちろん、中華料理は中国人のシェフが作る特製中華で美味しかった。そこでEddyさん、誰かに声を掛けられ「いやいや、久しぶりですね、そうですか、ご家族皆さんで、我々もさっきヘリで着いてね、」などとひとしきり世間話をして帰ってきたのだが、
「あの人、誰だっけ、思い出せないんだよね、君知ってる?」と同行してきた友人女性に聞くのだが分からず、中華料理店のマネージャーに聞いて
「あっそうか、あの人がそうだったね」と、やっと思い出したのを見て、顔が広くなると、そんなこともあるね、と思わず同感してしまった。
お腹が一杯になった我々は、警備員にdoggy bag(残った料理を包んでもらったもの)を手渡すと、雨が降ってくる中を一路マニラへと帰路に着く。しかし、やはりマニラは豪雨で飛行場が見えなくなっていた。そこで、近くの牧場に降りて15分ほど休憩を取ることに。しばらくすると雨が薄くなり、飛行場が見えてきた。さあ、帰ろう。なんというfantasticな旅行だろうか。
その夜、Eddyさんの自宅でパーティーが開かれ、孵化する前の、臓器が見える卵を食べる、という儀式をやらされた。私は何も見ないで丸のまま口に放り込んだが、案外美味しいものだと思った。ホルモンの関係か、血圧が上がって身体がほてるようになる、といわれていたが、そんな変化は見られなかった。フィリピン人の皆は、気持ち悪がって日本人は食べないと思ったらしく、思い切って食べた様子を見て大変喜んだ。そして、
「Now you are Philippi no !」
と、フィリピン人の仲間に入れてくれたのだ。
そのお返しに、私の得意ののどをカラオケで披露したのだが、「No one can follow you.」あまり巧すぎて次に歌えなくなったわよ、と女医さんにいわれてしまった。しかし、フィリピンでは皆が歌って〆の最後の歌が「My way」らしく、誰が歌うかで大モメになるらしい。マイクの取り合いから、撃ち合いになることもしょっちゅうだというから、フィリピンではマイウエイは歌わないことにしようと思った。実は得意な歌の一つなのだが・・・。