今回の医療法改正で、どのように医療供給体制が変化するのか「どこへ向かっているのか、この国の医療制度は・・・」と、地域の開業の先生方はだいぶ気をもんでいるようだ。
実は、「どこへ行く日本の医療」という題で私の父が本を出している。昭和53年8月の出版だ。30年前も今も、同じ心配を臨床医が感じているとすれば、日本の医療は行き先を定めずに迷走して来たようにも取れる。戦後に日本医師会がGHQのサモス中佐から指導を受けながら、medical professionの考え方、つまり「強制参加の公的職能身分団体」を作ることなく今の形で生き延びたことが良かったのかどうか、もう一度考えてみる必要があるだろう。三菱化学生命科学研究所の米本昌平氏は、このmedical professionに関する制度改革、構造改革を行わなければ、日本の医療はいつまでも二流のままであろうと数年前に指摘していた。我々は、医療専門職のリーダーとしてまた医師たちを組織化した医師会組織、学会組織の一員として、米本先生の指摘する日本の医療制度の欠陥を修復するための、実現可能なスキームを国民に示さなければならない。
小泉厚生大臣(元)は案外いいことをいっていた
平成元年(1989)に出された読売新聞社刊行の月刊誌「This Is」の5月号に、当時の厚生大臣であった小泉純一郎氏が興味ある発言をしている。
「医療提供についていえば、病院数は昭和四十年の1.8倍、医師数は1.7倍、医療費については実に16倍にもなっています。その他クスリ、食生活、公衆衛生などの生活環境が全般にわたって改善されてきているから、それが長寿に結びついていると思います。」
「僕は前から健康三原則ということをいっているんです。食生活、運動、休養の三つにつねに気をつけて、そのうえによいお医者さんといいクスリを適切に服用する。どんなにいいお医者さんに診てもらい、どんないいクスリを飲んでも食生活と運動と休養のバランスが崩れたら何にもならない。この健康三原則を守って初めて、お医者さんもクスリもプラスになってくるという考え方です。これは私の経験にもとづいているんです。」
「休養が大事だということは、カゼをひいてみるとよくわかります。クスリに頼るより休養を第一にした方が治る。」
「お年寄りの病気というのは完治することがなかなかむずかしい。慢性的な面があるので、ある程度までいったらそれ以上に病状は悪化しないけれども、完全に治るという状態ではないというものが多いと思うんです。しかしながら、65歳以上高齢者の約七割は、ふつうの生活をするのに支障をきたすような健康上の問題がない。したがって、病院の施設は本当に入院治療を必要とする場合に使い、病状が安定して入院治療よりはリハビリが必要だという人は、老人保健施設のような中間的な施設に移っていただくとか、できるだけ家庭にもどれるようにする。そして、自分の家で治療や介護を受けたいという人にはそれなりの対応をする。新年度の予算でも在宅医療、介護サービスの面を充実していきたいということで、家庭奉仕員、ショートステイ、デイサービスといった在宅福祉対策とか、老人に対する中間的な施設の拡大をはかっていくことを考えています。何でも病院に入ればいいということでなく、できるだけ病院から家庭へ、あるいは地域へもどれるようにする。そういう促進策が必要だと思っております。」
「いまは単に貧しさを救おうという時代でなく、すべての国民がお年寄りになっても安定した生活が送れるようにするということから、年金と医療はしっかりとしたものにしなければいけない。安定して年金給付を受け、病気になったら安心してお医者さんにかかることができる。これを揺るぎのない安定したものに構築していく必要がある。厚生省としてはこれに主眼を注ぎ、今年は年金の改正案を考えており、将来も安定的に所得保障ができるような年金制度を確立していきたいと思っています。同時に、医療も来年度の改正を控えているが、給付と負担の両面があるわけだから、識者の意見を聴きながら各制度間の公平を維持しながらだれでも適正な負担でよき医療を受けられるような制度を構築していきたいと考えています。いちばん関心があるのは、年寄りになったときに安心して年金が受けられるかどうかでしょうから、これをどうするか、病気になったら医療でどう対処するか、これを揺るぎない制度にしていくことが厚生省として当面のいちばん大事な仕事だと思っております。」
これらの発言は、今の時点で聞いても何の違和感もない。まさにその通りである。基本的な考え方は我々臨床内科医も日本医師会も厚生省も同じであったと再認識される。元来官庁というのはその監督下の諸団体に対して深い理解を示すものだ。通産省や農林省が良い例である。厚生省が厚生労働省になって、その方向性が怪しくなってきた。特に、財務省の下にまとめられた所轄は、国の経済や債務とリンクして医療費抑制という単純な足し算引き算の渦の中に巻き込まれてしまった感がある。「日本の医療」について語られるべき主題が、「日本の医療経済」について語られるようになってしまった。この座標軸の移動によって、どれだけの「まともな議論」が空中分解してしまっているか分からない。
地域医師会の意識改革が日本の医療改革につながる
日本の医療体制は戦後の混乱期に始まって、この50年間で素晴らしい進歩を遂げた。これは、医療を提供する側と医療を提供される側との二人三脚があったからだ。日本人のメンタリティの故といってもよい。しかし経済発展と社会発達の速度が加速するにつれて、地域医療を預かる診療所の機能は、莫大な投資を行って最先端の医療機器を揃えて発展する大病院に追い付かなくなった。一方、開業医が経済的に安定し、さらに高齢化するにともなって医師としての活動性の低下は避けられなくなった。国民から見る開業医のイメージは「面倒な患者は病院へ、往診はしない。休みを多くしてゴルフや旅行に行く先生たち」といったネガティブなものになった。
医師会、という組織も、そうした医師の集まりで「仲間内でなにやらやっている団体、政治家には多額の献金をして圧力を与えている悪者」としか一般の国民の目には映らなくなった。実際には公益法人として住民の健康を守るために、地方自治体と協働して多くの事業を行っている、素晴らしい機能を持っている。例をあげれば、新生児から小児にいたる検診事業、40歳以上の住民に対する基本健康審査、予防接種、学校医や産業医の派遣、介護保険の審査委員、住民のための健康教室と健康相談、大規模災害に対する医療的危機管理体制の構築等々、コミュニティーにおける身近でいろいろな種類の医療・保健活動は、医師会という組織がなければ円滑には働かない。
しかし、そのシステムもだいぶ疲弊してきた。医療機関の特徴や医師の専門・技能に対する情報開示を、最近では国が積極的に進めているのにも関わらず、未だにその情報は地域住民の手に入らない。インターネットを通じての情報発信も遅々として進んでいない。医師会の中にある「部会や班」といった、戦前戦後に区切られた「村」的な区域単位は、すでに無意味な存在になっているのにも関わらず、それを変えようという動きはない。地域医療のネットワークを作るためには、こうした保守的な部分を、組織が変化していく上で必要なもっと機能的で実質的な地域医療の「ユニット」へと作り変えていく必要がある。政治に派閥がなくなってきたように、医師会内の派閥も差別もなくすべきだ。また、連綿と体制内維持されてきた、自治体からの補助金に依存しそれらの事業をただ単になぞるやり方も変えていかなくてはならない。医療の専門家集団である医師会が、自らの研究によって発想したより良い地域医療システムを、議会を通じて提案しもって自治体の発展に寄与する、ということがあってもよいはずだ。それを推進するのは、今の医師会幹部ではない。これからの地域医療体制に責任を持つ若い開業医たちだ。彼ら彼女たち、そしてそのコミュニティーの住民が望む医療体制の整備を推し進めていけば、それが日本人の身の丈にあった医療体制に自然になっていくのではないだろうか。
後輩の関先生(小児科開業医)の470級ヨット。スピンネーカー展開のサンプルを採取。
ヨット部の学生と共に、江ノ島井上食堂での宴会後公園で。
夕暮れの佐島から富士山を望む(見えないかも・・・)。