ドクタープロフィール
ドクター神津
神津院長は昭和52年に日本大学医学部を卒業後、同大学第一内科に入局され、その後、神経学教室が新設されると同時に同教室へ移られました。医局長、病棟医長、教育医長を長年勤められ、昭和63年、アメリカのハーネマン大学およびルイジアナ州立大学へ留学。帰国後、特定医療法人佐々木病院(内科部長)を経て、平成5年に神津内科クリニックを開業された。神津院長の活動は多岐にわたり、その動向は常に注目されている。
2004年11月号 -第111回日本医師会臨時代議員会(そのⅡ)- backnumberへ
 先月そのⅠに書いた代議員会の内容が、日本医師会雑誌(9月15日号) に速記録として出たので、正確を期するためにこれを参照しながら書きたいと思う。

さて、植松会長が沖縄の代議員からカウンターパンチをもらって始まった代議員会であるが、その後は順調に滑り出した。西島参議院議員の抜けた後、常任理事の補欠選挙は、大阪市医師会の副会長である伯井氏が一人だけの立候補者であり、選挙なしに当選となった。しかし、実はこれにも紆余曲折があり、いくつかのブロックから立候補予定者が出たのだが、医師会特有の「調整」が行われて一人に絞られたらしい。会長のお膝元での入選であるから、「いよいよ植松色が強くなった」と感じている都道府県医師会もあるようだった。

その後、新執行部が補正を行った予算が上程され、それを審議するための「予算委員会」が別室で行われた。これは代議員会と平行して、各ブロックの代表質問が行われている間に行われる。事前に、各地区からは委員名簿が提出されており、議長に「それでは、予算審議委員の先生方は、別室にお集まりください」と促されて、バラバラと席を立って別室に移動することになる。これは15年度の決算報告に対する「決算委員会」も同様で、ブロック毎に決算委員がすでに決められていて、別室で15年度の決算審査委員会が開かれた。

さて、代表質問の主なものを上げてみよう。

まず、ORCAについての質問である。前執行部の立ち上げたORCAという日医版レセコンを植松執行部は続ける意志があるのか、と問われた。というのも、あたかもこの事業を廃止するかのような意見を、全国各所で担当常任理事が発言したからのようだ。「前執行部との差別化を図るために意図的に煽ったのではないか」と聞かれたわけだ。「3年間で11億円かけて、実際に導入されたのは580余り。認証局の設置やこれに伴って今後支払う使用料や管理料を考えるとこれではあまりにも無駄が多い、ということで、それを軌道修正した」と答えたが、「普及しないのは、ORCA自体のせいではない。どだいレセコン会社の社員がやるようには販売促進出来るわけがない。医師会執行部自身が自分の医療機関で使用するなどして、もっと普及に努めるべきだ。」という意見も出された。新規事業においては、初期投資は当然かかるものだ。今後の立ち上がりを期待したいものだ。

次に、日医総研の処遇についての質問があった。「予算では、日医総研の収入が減って支出が増えているが、これではさらに金食い虫ではないか」というものと、「植松執行部は日医総研を内部機関とするとしているが、外部にあって日医と緊密な連携を取ることの方が良い」という意見。会長は「日医総研が、混合診療を容認するようなレポートを出されては困る。こういう大事なことは日医と足並みを揃えるべきで、他の研究は大いに自主的にして頂いて良い」と答えた。担当常任理事からは「日医総研の支出に関して、高額の決済を一委員会で決めてしまうような、一部不透明な部分があり、これを改めることにした。また、日医は収益事業を行わないとしているので、日医総研が収益事業を拡大していることについて軌道修正したいと考えている。従来は、書籍や研究による成果物を、製薬会社に高額な値段で買ってもらっていたが、そうしたことは止めにした。勿論、会員に対しての頒布は続けているし、製薬会社からの購買依頼があれば、正規の価格で購買に応ずる」と説明があった。

また、「医師免許の更新制について」の質問があり、「絶対に日医は認めてはならない」との要望があったが、担当常任理事は「社会の要請によって、学校教員についても免許更新制度が文科省で検討され始めた。医師免許についても同様の考えはある」と答えた。

また、日医が行っている臨床検査施設の制度管理機構について、「ある組織が、欧米で作られているような国家的な審査機構(national external quality assessment scheme = NEQAS)を作って、ライセンスを出すようにしたいというのが悲願であり、それに日医が乗せられている状況だった。この計画は日医総研が引き受けたのだが、ある業者に高額で丸投げしている状況が分かった。年に三回という予定になっているが、日本医師会が三回やらなくても、わが国ではほかに大きな組織がこれと同じことをやっているので、大規模臨床検査制度管理調査は、それぞれの行っている調査結果を総合的に評価するプログラムを作成すれば可能であると考えるので、これを軌道修正している」と、方向転換の様子を担当常任理事が詳細に述べた。

私からは、「今後の日本の医療を支えるためには、若手医師たちに地域で思う存分働いてもらわなければなりません。しかし、ご年配の先生方が、医師としての地位と名誉と経済的な優遇を得て、医業経営も順調であった30-40 年前と違い、借金に苦労して蓄財も出来ずにいる今日この頃の若手医師たちのことが心配であります。お願いしたいことは、今現場で懸命に患者さんのために働いている若い日本の医師たちが、プライドと希望をもって地域社会で働き、その働きを終えた後には、後輩医師にその任を譲って、それまでの働きに見合った、悠々自適な老後を過ごせるように、社会的、経済的基盤整備をし、その青写真を見せていただきたいということであります。それなしには、若い医師たちが日本医師会を自分達の太い幹として仰ぎ見ることはあり得ないと思います。植松会長にお答えいただきたいと思います」という、関連質問を用意していたのだが、このような話題がなく、発言の機会を逸した。次の代議員会には発言の機会を是非得たいと思っている。

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