ドクタープロフィール
ドクター神津
神津院長は昭和52年に日本大学医学部を卒業後、同大学第一内科に入局され、その後、神経学教室が新設されると同時に同教室へ移られました。医局長、病棟医長、教育医長を長年勤められ、昭和63年、アメリカのハーネマン大学およびルイジアナ州立大学へ留学。帰国後、特定医療法人佐々木病院(内科部長)を経て、平成5年に神津内科クリニックを開業された。神津院長の活動は多岐にわたり、その動向は常に注目されている。
2004年2月号 -冠婚葬祭医師会はもうやめよう- backnumberへ
 今は、新幹線の中でこの原稿を書いている。これから大阪へ行って、学会発表をすることになっているのだ。「正常圧水頭症研究会」という名前の、この研究会に出席することになったのは、ひょんな切っ掛けからだった。私は昨年から大学の同窓会の学術担当理事になったのだが、理事会で会った脳外科の竹内東太郎先生と隣席になる機会があってある患者さんの話をした。

「先日、パーキンソン病の初期だと思っていたら、慢性硬膜下血腫だった方がいて、手術で症状がなくなったんですよ、興味深いでしょう」

「へぇ、それは面白いね。今度大阪で正常圧水頭症研究会というのがあるんだけれど、それ、出してくれない?」

ということで、演題募集の要項を送っていただいた。最近の学会は、演題応募もメールを使って出来るようになっているので大変便利だ。私も律儀に応募して草稿を事務局に送ったところ、acceptされた。されたのはいいが、発表の準備が大変で、今週は診療が月末で患者さんがあまり多くなかったから助かったが、久しぶりに大学の図書館に行って文献を漁ったり、それをコピーしたり、論文を読んで内容を検討したり、と診療+アルファで大忙しだった。しかし、毎日のルチンワークと少し違って、知的な脳の活動を「研究」という純粋なscience に使うというのが何とも楽しくもあり、嬉しくもあった。

私は、元来がこうした哲学的というか、知的な活動が好きな方で、人との上辺のお付き合いは嫌いなほうなのだ。出不精でもあり、用事でもなければ、家にいて本を読んだり考えを巡らせたりするのが好きだ。こういうと、意外だと感じる人も多いかもしれないが、浮世のしがらみや不条理な社会通念に縛られるのが嫌いなので、それを正しい方向へ導いて行こうとか、マンネリズムや旧態依然としたシステムをリバイスするために、思わず改革の火の手を上げてしまう、というのが本当のところだ。私が考える「当たり前の社会」であれば、ぬくぬくとその暖かさに浸っているのが好きなタイプなのだ。

よく、私は医師会改革の旗手の一人に挙げられるが、そんな私のlife styleというか自己表現が、単に医師会という場で発揮されているに過ぎない。大学にいれば、大学の改革に手を染めていたことだろう。しかし、一旦中に入ってみると、出不精な私が引っ張り出されるくらい、それくらい「医師会というシステム」は旧態依然としてしがらみばかりで不条理なシステムなのだ。

地区医師会の働きは、その地域のcommunity based medicine(CBM)を発展させ、地域住民の健康管理、医療的な危機管理を地区行政、住民活動と共に見識を持って推し進める強力なエンジンとしての働きだ。そのエンジンの活動がまだはっきりと理解・認識されていない。

私の地域の医師会は、毎年「創立記念式典」というのをやっている。60周年の次が61周年で、その次が62周年、またその次が63周年、と延々と毎年全く同じ行事を繰り返している。しかも、来賓として呼ぶのは区会議員、都会議員、国会議員、区役所の幹部職員、消防、警察、税務署の所長で、毎回同じ話を聞かされ、祝辞を頂かない来賓をわざわざ点呼してその場で頭を下げさせる、ということを繰り返し繰り返しやっている。恐らく、数十年前に、医師会が権力集団として地域に君臨する、という中世的なパターナリズムを具現化するために、地域の権力者を一堂に集めて、その勢力、威力を見せびらかすのに大変良い機会であったのだと思う。たぶん、その当時の会員や出席者は、「さすが医師会ですね」と、恐れ入ったと思われる。圧力団体と称されて、医師会が動けば何十万票という票が集まり、議員はその票欲しさに記念式典参りを重ね、行政機関は医師会にNoといわれたら保健衛生計画が立ち行かなくなるから、ひたすら平身低頭していた時代である。

しかし、時代は変わったのだ。医師会の票集めの能力は地に落ちている。それが証拠に、自民党も医師会の方を向かなくなった。行政は行政で、独自の保健センターを次第に持つに至り、医師会の助けを借りずに保健衛生計画が立てられるようになった。従前より医師会に対して出し続けてきた「助成金、補助金」は、「財政が困窮している」からと、真綿で首を絞めるように削減してきている。誰も、以前のようなシステムとしての医師会を、もう頼りにしてはいないのだ。毎年行われる「創立記念式典」に出てくる常連の中には、「いいかげん、やめて欲しい」というゼスチャーをそれとなく伝えている人が増えた。今の医師会は、裸の王様だ。まだそれに気付かないでいる。冠婚葬祭医師会、これは、もうそろそろやめにしたいものだ。今の医師会館はあと20年使える。この時代に、箱物としての医師会館を建てようなどという時代遅れな考えを持つ理事がいることに大変驚く。ここにも、壊れたシステムとしての医師会、変速機の壊れたエンジンとしての医師会を垣間見る思いがする。

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