ドクタープロフィール
ドクター神津
神津院長は昭和52年に日本大学医学部を卒業後、同大学第一内科に入局され、その後、神経学教室が新設されると同時に同教室へ移られました。医局長、病棟医長、教育医長を長年勤められ、昭和63年、アメリカのハーネマン大学およびルイジアナ州立大学へ留学。帰国後、特定医療法人佐々木病院(内科部長)を経て、平成5年に神津内科クリニックを開業された。神津院長の活動は多岐にわたり、その動向は常に注目されている。
2003年8月号 -佐島ジュニアヨットクラブ②- backnumberへ
 ジュニアヨットクラブの日本の端緒は、江ノ島ジュニアヨットクラブだ。東京オリンピックを開催するときに、江ノ島にヨットハーバーを作ったのだが、ヨットクラブがなかった。ヨット競技は、各国の開催地のヨットクラブが主催することがヨーロッパの伝統になっていたので、「ヨットクラブのない国ではヨット競技をやらせることは出来ない」とコミッティーから断られてしまった。そこで、急遽「江ノ島ヨットクラブ」を作り、なんとか開催に漕ぎ着けた、というのが真相だ。その時に大敗を喫した日本ヨット連盟は、明日のオリンピック選手を育てるために、と江ノ島ジュニアヨットクラブも作ったのだ。

東京世田谷区にあった国立小児病院が出来た経緯も、日本小児科学会が国際学会を開催することになって、日本に小児病院がないのは恥ずかしい、と急遽国立小児病院を作ったらしいから、ボトムアップが基本の欧米諸国の成熟度と比較すると、我々日本国民はまだまだ未熟なのだろうと思う。カナダのトロント小児病院は、ある看護婦がボランティアで始めた病気の子供を預かる施設が、次第に大きくなって今に至っているということだから、中で働くスタッフの心構えも違うようだ。日本のように、箱だけ作って、中身はお粗末、という状況ではない、きちんとした理念が貫かれているのが羨ましい限りだ。
佐島ジュニアヨットクラブは、ヨットを通じて子供達を教育したいという、海好きの集まりだから、その点では欧米並みのヨットクラブの雰囲気がある。小学一年生から、中学3年生までが入会年齢なので、これを読んだ方で入会希望があれば、私の方にご連絡頂きたい。

「我々の時代のスーパーヒーローである加山雄三さんが子供の頃、茅ヶ崎海岸からえぼし岩まで冒険するために、一そうの船を自分で作った話を、どこかで聞いたことがあると思います。海とは、本来そうした子供たちの冒険心をかきたてる、不思議な、青い、しょっぱい、こわい、そしてワクワクする場所なのです。

日本では、江戸時代に鎖国が長く続いた関係で、世界の「大航海時代」に欧米列国が、上り角度とスピードを革命的に獲得していった帆船時代、風上へ上る性能の良い船は作ることが許されず、海流と季節風に頼る船しか建造出来ませんでした。つまり、海は、日本から人々が逃げ出さないようにする囲いのようなものと考えられていたのです。

その感覚がまだ残っているためでしょうか、今でも、海で遊ぶことに何故か抵抗があるようです。しかし、地球がこれだけせまくなり、世界中の子供たちと直接対話が出来るようになった今日、ヨットというスポーツを通じて、海の向こうのお友達と心の通った交流が出来るよう、小さなスポーツ外交官を育てるというクラブがあっても良いのではないかと思っています。

そのためには、海に親しみ、自然の中で、波や風や水のことを知り、ヨットの面白さ、きびしさを学んでいくことが大切と思います。不安定な船の上で全身を使い、五感のすべてを働かせて育つ子供は、普段勉強の時には使わない右の脳を、たくさん働かせています。それは、人間本来の動物的な脳の働きを取り戻すことでもあり、その子供がバランスの取れた人間に育つための、非常に大切な情操教育といえるのです。

私は、スタッフ、指導者の皆さんに、子供たちが目を輝かせて耳を傾けるような(時にはドリトル先生のように大ボラを吹いても)、そんな不思議で楽しい海の話を、練習のときには毎回考えて頂けたらと思っています。そして、彼等が大きくなったときにこのクラブに帰ってきて、同じように小さな後輩たちに海の楽しさ、不思議さを話してあげられる、そんなクラブになっていってくれたらと希望しています。

ご家族の皆さんのご協力と、ご支援を何卒よろしくお願い申し上げます。」

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