私が日常診療をしている場所は、世田谷区の三軒茶屋という場所だ。標榜科目を内科、神経内科、リハビリ科とし、平成5年5月に開業し、もうそろそろ10年になる。現在は外来の患者さんを診療するのと同時に、大体12名前後の在宅患者さんを見せていただいている。神経内科の専門医として病院内で働いていた時とは多少違った生活だが、満足のいく地域医療を展開しているといっていいだろう。しかし、最初からうまくいったわけではもちろんなかった。
在宅医療を始めた切っ掛けは、大学病院に勤務していた時代に遡る。神経内科の病棟医長を勤めていたが、ある時神経ベーチェット病の患者さんが入院してきた。職業が理学療法士だった患者さんは30歳位だっただろうか、四肢麻痺で失明していた。若い頃に知り合った奥さんがいるのだが、彼女も先天的な全盲だった。この二人がどういう日常生活をしているのか、どんなことが我々に出来るのか知りたかったからだ。その頃全国の大学病院に先駆けて、母校の付属病院には訪問看護室が作られていて、家庭訪問を行う看護婦を連れて往診に行ったのが最初だった。膀胱バルーンカテーテルの処理や食事の世話、投薬や体位交換など、それは大変な様子だったが、若い二人の家庭は暖かくて、笑いと愛情が溢れていた。もちろん、都営住宅に病院用のベッドを入れた環境は、今から考えるとけっして良い状況ではなく、隣に奥さんの叔父さんが住んでいなければ在宅ケアはとても出来るものではなかった。もう一人は、ALS(筋萎縮性側策硬化症)患者さんだった。この方が退院後、「大学病院までとても通えないので往診をして欲しい」と頼まれた。もちろん、大学病院の勤務終了後にお伺いするボランティア的な診療だったが、とても喜ばれた。
こうした私の数少ない経験の中から、開業して地域医療に貢献しようとするからには、新規参入者として「往診」や「在宅医療」を行うのは当然だろう、と考えていたのだ。
ちょうどその頃、国策による在宅医療の基盤整備が進みつつあった。昭和61年には「寝たきり老人訪問診療料、同訪問指導管理料」が新設され、平成4年には医療法の改正によって医療を行う場として「患者の居宅」が法的に規定され、「寝たきり老人在宅総合診療料」が新設された。平成6
年には「在宅医学管理料」「在宅患者訪問24時間連携体制加算」などが加わって、若い開業医にとって経済的なインセンティブも大きかったのだ。
(つづく) |