谷岡さんは自然の風景を写真に切り取る仕事をしていた。いわゆる写真家だ。
カナダの氷山を撮りに行っていて、めまい、頭痛を感じていた。最近は焦点が合わないこともあり、おかしいと思っていた。
東京に帰ってきてから、ネガの整理や撮った写真を広告会社に提供する打ち合わせなどに忙しく、自分の身体を振り返る時間などなかった。
ある朝、突然の吐き気で目が覚める。起きるとまわりがぐるぐると回る。
「ひどい頭痛だ・・・」
いつもはしばらくすると落ち着くのだが、この時ばかりは、いつまでたっても状況は変わらなかった。谷岡さんは枕元の電話に手を伸ばし、119番を回した。
病院での検査の結果は、本人には知らされず、家族がそれを聞いた。
腎臓に大きな癌が出来ていて、脳に転移があった。頭部CTを見ると、転移巣周辺の浮腫が強く、その影響が吐き気になっていた。このまま進めば、脳カントンを起こして死に至る。脳外科医は、頭蓋骨をはずす手術に踏み切った。
谷岡さんは自分の家を持たない主義だったから、仕事のための機材と身の回りの品が少しばかり安アパートにあるだけだった。いつも自由な空気を吸っていた。病院は嫌だ。病院で死ぬのはもっと嫌だ。
そう感じていたのは谷岡さんだけでなく、二人の姉と彼の仲間達も一緒だった。
「この近くにマンションを借りました。大家さんには内緒なのですが、ここでターミナルケアをしてやりたいんです。是非先生の手助けが必要なんです・・・」
二人の姉がクリニックに来て、必死に懇願するのを、受け入れないわけにはいかなかった。谷岡さんの部屋へ入ると、誰かしらいつも笑顔の付き添いがいた。別室ではお茶を飲みながら昔の元気だった谷岡さんの写真を見て笑う友人がいた。愛が溢れていると思った。
不思議なことに、麻薬を大量使用しなければ取れなかったあの痛みと苦しみが、病院から退院してマンションに移ってからは、極々少量の麻薬で済むようになった。気分のいいときには音楽を聴いたりした。朝日が入る場所には、自分の好きな花を飾った。天井に自分の好きな写真を貼った。
雨の日、雪の日、呼ばれればその都度往診をした。今でも、濡れたアスファルトに朝日が射したあの日の朝を思い出す。在宅のベッドの上に、多くの人の手が差し伸べられていて、手の花びらたちの真中に、静かに息を引き取った谷岡さんがいた。それが私の診療の最後だった。
病院のベッドには苦痛の種がつまっていて、在宅のベッドには癒しの種が隠されている。そして、その種を育てるのは、誰あろう私たちなのだ。いつでも、癒しの種から幸せの花を咲かせたいものだ。 |