2020年4月21日に東北大学診療所の運営が始まってからはいかがでしたか。
6月ぐらいまでは1日10件ほどだったので拍子抜けしたのですが、7月頃から増えてきまして、現在に至っています。
感染者数の変化について、お聞かせください。
7月ぐらいに第2波が来て、2021年3月からまたぐっと増えてきました。数字で言うと、6月までは件数も少なく、診療所を止めてもいいのではないかと考えていたら、7月に増えました。7月は660、9月は900、10月は980件となりました。12月は非常事態宣言がありましたが、988件で、1月は1387件でした。ここで一旦落ち着き、2月は241件と減ったので良かったと思ったら、3月に1581件とかなり増えてきたのです。宮城県は4月5日にまん延防止等適用措置の適用となりました。
提供元:東北大学病院
宿泊療養施設の医療支援はどのような形でなさっているのですか。
2020年4月13日の夜に宮城県の職員の方からお電話をいただいたのです。その方とはもともと地域医療や人材育成の仕事でご一緒していたのですが、その方がいらっしゃる部署がホテルを療養施設に使うことを担当することになったとのことでした。そこで、「オンコールの医師を出してくれ」と言われたのです。あてにしていたところから急にできないと言われたようで、「いつからやるんですか」と聞いたら、「4月16日から」とおっしゃるので、「えー、3日後だ」と思い、東北大学病院の冨永悌二院長に相談しました。そうしたら、「やるしかないだろう」ということになったんです。
場所はどちらだったのですか。
当時は作並温泉のホテルでした。作並温泉の場所は仙台市内ではありますが、中心部からは車で1時間かかるところなのです。そのような場所で、もし患者さんに急変があり、オンコールで呼ばれたときに1時間かけて移動するのは大変です。そこで、冨永院長が「では泊まり込みでやるしかない」とおっしゃったので、「24時間勤務できる医師」を学内で広く募集をかけ、リクルートしました。それから、医師たちに意見を聞いたところ、「夜はどうするんだ」となったのです。昼間は宮城県が雇用した看護師さんがいるのですが、夜間帯にはいません。医師は日頃は偉そうにしていますが、一人では何もできないのです(笑)。夜間に医師のみという体制では困りますので、東北大学病院の看護部にお願いをし、夜間帯に泊まっていただく看護師を外勤という形で出していただくという調整を行いました。
提供元:東北大学病院
今はどのように展開されているのですか。
療養施設になっているホテルは4カ所ほどありますが、医師を学内で広く募集したうえでの手上げ方式では日程調整などが難しいので、ホテルごとに診療科を割り当てました。一つ目のホテルは私どもの総合地域医療教育支援部で全て行っていますし、二つ目のホテルは内科の連合軍と医師会、三つ目は総合外科、四つ目は内科と仙台市医師会です。
そうした依頼はスムーズに進むものなのですか。
「ご協力いただけますか」というお願いベースで、「分かった」みたいな感じです。宣伝になりますが、東北大学は旧帝大であり、最先端医療、最先端治療、最先端研究、国際交流の4本柱がある大学ということは受験生にも認識されています。「研究第一」ですね。一方で、東北大学には地域医療をずっと守ってきた伝統やDNAがあるのです。東北大学医学部は東北地方で初めてできた医学部であり、戦後に弘前大学、福島県立医科大学、岩手医科大学、1970年代に秋田大学と山形大学に医学部ができるまで、東北6県に医師を出してきました。1970年代にようやく東北6県全てに医学部が揃い、今はそれぞれの大学が自立してきましたので、東北大学から他県に医師を出す機会は減っていますが、それでも宮城県や岩手県の基幹病院、大きな病院には医師を派遣しています。東北大学教授陣のほとんどが若いときには外部の病院で働いた経験があるのです。
提供元:東北大学病院
地域医療に触れてきた先生方が揃っているのですね。
現在の臨床研修制度が始まったのは2004年ですが、その遥か以前から東北大学は卒業後にいきなり入局しないシステムを採っていました。旧帝大では名古屋大学と東北大学だけのようですが、卒業後すぐは関連病院で修行してから大学に戻ってくるというものです。基本的には内科と外科がそうです。それ以外の眼科や耳鼻咽喉科などは形式上は卒業後すぐに入局しますが、1カ月ほどのオリエンテーションを終えたら、2年ぐらい関連病院に出されます。事実上は「外で研修してきてね」ということなのですね。したがって、皆が若いときに地域医療を守るという経験を積んでいるので、そうしたモチベーションが高い大学だと言えるんです。
提供元:東北大学病院
素晴らしいですね。
こうしたことを当たり前のようにしてきましたので、私たちは今回の新型コロナウイルスを「感染災害」だと思っていますが、このような感染災害に限らず、困ったときには支援するという学内の雰囲気があり、「知らないよ」と言う教授は一人もいませんでした。
(8月号に続く)