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親しまれ、愛される病院
プロフィール
寺田萬寿病院
岸和田だんじり祭が全国的に有名な大阪府岸和田市は岸和田藩の城下町からの歴史を持つ工業都市である。大阪市の中心部からは南海電鉄本線、JR阪和線、阪和自動車道、阪神高速道路4号湾岸線などが通っているほか、関西国際空港にも近い。岸和田だんじり祭は1703年に始まったと伝えられ、見どころの「やりまわし」には多くの観光客が訪れている。
寺田萬寿病院は生活困窮者に無料または低額な料金で診療を行うことを使命に、1923年に創業された病院である。現在は急性期病床50床、医療療養病床150床、回復期リハビリテーション病床25床、地域包括ケア病床25床の計250床のケアミックス型の病院として、急性期医療と療養医療、そして介護にも力を入れている。
今回は寺田萬寿病院の松川直道院長にお話を伺った。
松川 直道 院長 プロフィール
1961年に大阪府豊中市で生まれる。1988年に大阪大学を卒業後、大阪大学第4内科(現 老年・総合内科学)に入局し、大阪大学医学部附属病院に勤務する。2001年に寺田萬寿病院に院長代理として着任する。2014年に寺田萬寿病院院長に就任する。
日本内科学会総合内科専門医、日本老年医学会老年病専門医、大阪大学医学部臨床教授など。
病院の沿革
- 1923年
- 故寺田益子刀自の遺産を基金として、財団法人寺田萬寿病院を設立する。
- 1952年
- 庶民の福祉に貢献する目的をもって、社会福祉法人に組織変更する。
- 1973年
- 老人病棟、機能回復訓練設備、臨床検査研究室が完成する。
- 1981年
- 近代的病院給食設備を有する給食棟が完成する。
- 1985年
- 鉄筋コンクリ-ト造地上4階建、延べ約1500平方メートルの病棟及び管理棟が増築完成する。
- 1986年
- 外来棟を改装するとともに、最新鋭設備を設備した手術室の増築が完成する。
- 2000年
- 鉄筋コンクリ-ト造地上5階建、延べ約6000平方メートルの療養型病床群病棟及びリハビリテーション、デイケア、訪問看護、居宅介護支援事業所棟が増築完成する。
- 2000年
- 介護保険施設の指定を受ける。
- 2007年
- 地域密着型サービス事業を開始する。
- 2007年
- 回復期リハビリテーション病棟を開始する。
- 2008年
- 地域包括支援センター萬寿園を開始する。
- 2011年
- 貝塚市にグループホームを開設する。
- 2012年
- 貝塚市に認知デイサービスセンターを開設する。
寺田萬寿病院の歴史は古く、大正時代まで遡る。
「明治初期から昭和の戦前期にかけて、岸和田を中心に紡績業などの事業を幅広く展開していた寺田財閥という財閥がありました。当院はこの寺田財閥の流れを汲んだ病院です。寺田益子さんはその寺田家のお一人ということもあり、岸和田のこの地に開業することになったそうです。国民皆保険制度が始まる以前ですので、経済的な理由から医療を受けることができない人たちがいました。当院はそういった人たちに無料、または低額な診療費で医療を提供しようということで設立されたのです。」
寺田萬寿病院が社会福祉法人の病院であるのもこうした設立理由によるものだ。
「当院はもともとは急性期病院で、外科手術を中心に行っていたのです。かつてはこの泉州地域には病院が少なく、大阪大学の教授や講師の先生方が当院にいらして、外科手術をなさっていました。私が当院に来た頃は泉州地域にも病院が増え、当院も急性期病院からケアミックス病院への変革期にありました。」
急性期病院からケアミックス病院への転身が寺田萬寿病院の歴史の中での大きな出来事だろう。
「以前の医療の主流は急性期であり、回復期や慢性期は医療の主流から今一つ外れていると皆が思っていたのです。私はその中でいかに病院としての特徴を出していくかということに注力しました。当院は病院だけが社会福祉法人立なのではなく、介護老人福祉施設も病院と同じ岸和田市に持っています。そこで、医療だけでなく、介護や福祉を連携させていく取り組みを始めました。現在でこそ地域包括ケアという概念がありますが、その大切さが人の口にあまり上らない頃から、当院は医療、介護、福祉を総合的に提供してきたのです。」
松川院長は大阪大学で老年医学を扱う第4内科講座に所属していた。
「たまたま入局した医局が老年医学を学べるところでした(笑)。老年医学から総合内科が生まれてきたのですが、これが現在の超高齢社会に適しているように思います。しかし、この高齢化もずっと続くわけではありません。そういう意味では病院としての機能を落とすことなく、地域に貢献していきたいと考えています。」
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