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丹波地域の中核病院として、
世界標準の医療を提供します。
プロフィール
兵庫県立柏原病院(兵庫県丹波市)
兵庫県丹波市は2004年に氷上郡柏原町、氷上町、青垣町、春日町、山南町、市島町が合併して誕生した市である。兵庫県東部に位置する中山間地域で、粟鹿山などの山々に囲まれているが、交通アクセスに恵まれ、神戸、大阪、京都とは車で1時間30分以内、JRでも2時間弱で結ばれている。加古川の源流や竹田川の水が豊かであることから、丹波栗、丹波大納言小豆、丹波米といったブランド農産物でも知られている。
兵庫県立柏原病院はJR福知山線の柏原駅から徒歩15分の場所にある。秋田穂束院長の着任以来、若い医師や看護師が集まり始め、診療機能の大きな改善を見せている。最近では医学教育にも力を入れ、神戸大学からの診療や教育支援も受けつつ、「世界標準の医療」を追求している。2019年には柏原赤十字病院と統合し、新病院が開院する予定となっている。
今月は兵庫県立柏原病院の秋田穂束院長にお話を伺った。
秋田 穂束(ほづか) 院長 プロフィール
1976年に神戸大学を卒業後、神戸大学医学部附属病院で研修を行う。1977年に高砂市民病院内科、国立循環器病研究センター病院心臓内科で研修を行う。1980年に神戸大学第一内科に入局する。1983年に米国St. Louis Washington大学循環器内科に留学する。1985年に帰国し、神戸大学医学部附属病院第一内科助手、講師に就任する。1992年に六甲アイランド病院の立ち上げに参画し、循環器内科部長に就任する。1995年に神戸大学医学部附属病院第一内科助教授に就任する。2000年に神戸大学医学部附属病院総合診療部の初代教授に就任し、総合診療;診療、医学教育に関与する。2009年に総合診療部と老年内科が統合し、総合内科教授に就任する。2010年に神戸大学大学院医学研究科地域社会医学・健康科学講座/総合臨床教育・育成学分野教授に就任し、地域社会医学・健康科学講座;兵庫県立柏原病院の診療教育サポートと地域枠学生の教育に関与する一方、総合内科教授も兼務する。2013年に兵庫県立柏原病院院長に就任する。また、神戸大学名誉教授、神戸大学大学院医学研究科地域社会医学・健康科学講座客員教授も兼任する。
日本内科学会、日本循環器学会、日本病院総合診療医学会、日本医学教育学会などに所属する。
病院の沿革
- 1953年
- 県立療養所柏原荘(結核300床)として設立する。
- 1960年
- 兵庫県立柏原荘に名称変更を行う。(結核250床、一般50床)
- 1968年
- 救急病院としての告示を受ける。
- 1973年
- 「県立柏原病院」に名称変更を行う。(一般232床、結核121床)
- 1979~1983年
- 病棟、外来棟などを建設する。
- 1984年
- 総合病院の名称承認を受ける。(一般303床、結核50床)
- 1996年
- 災害拠点病院として、指定を受ける。
- 2002年
- 地方公営企業法の全部適用となる。
- 2003年
- 厚生労働省から臨床研修病院の指定を承認される。
- 2006年
- 結核病床(50床)を廃止する。
- 2008年
- 地域がん診療連携拠点病院の指定を受ける。
- 2008年
- へき地医療拠点病院の指定を受ける。
兵庫県立柏原病院の前身は県立療養所柏原荘で、結核病棟のみの300床の病院だった。
「JR福知山線の柏原駅から歩いて10分ほどの場所で、山の麓ですから、環境が抜群の場所です。もともとの歴史は結核病棟なんです。1953年に設立された結核病棟ですから、こういう都会から離れた場所に作ったのでしょうね。」
その後、結核診療を続けながら、一般病棟も開設し、総合病院となる。2003年には臨床研修病院に指定されるなど、順調に発展を続けていたのだが、2004年に医療崩壊が起きてしまう。
「医療崩壊の嵐をまともに受けましたね。その原因としては都会に医師が集まったことにより、こういう地域に医師不足が起き、大学の人材の派遣能力が崩壊したことが挙げられます。もう一つの原因としては、医療があまりに細分化されてしまい、医師の守備範囲が狭くなっているので、多くの医師が一人の患者さんを診ないといけなくなることでの効率の悪化でしょう。それから患者さん側の『コンビニ受診』も多くなりました。」
しかし、2007年に「県立柏原病院の小児科を守る会」が発足し、事態は少しずつ好転する。この市民団体による活動はテレビなどで報道され、全国的にも有名になった。
「『守る会』の皆さんが『コンビニ受診は止めましょう』、『かかりつけ医を持ちましょう』、『お医者さんに感謝の気持ちを伝えましょう』などといったポスターを貼っていただく活動をしてくださったんです。我々にとっても、地域の住民の方々が病院を支えてくれるというのは非常に有り難かったですね。」
秋田院長が兵庫県立柏原病院に院長として着任したのは2013年の春である。
「そのときに神戸大学から言われたのは『この病院を再生しろ』でした。そこで、当院に着任するまで、当院で働いたことのある人にインタビューしたり、色々と考えましたよ。なぜ若い人たちが立ち去ったのかというと、若い人たちにとって魅力的な病院ではなくなったからなんですね。若い人たちは田舎であっても、勉強ができ、教育をしてくれる病院なら集まるんです。やはり教育力がなかったんでしょうね。学ぶことが自分の実力を上げることに繋がります。若い研修医の教育に力を入れるためにも我流ではなく、国際的な標準の医療を行うことが大切です。それも極めて高いレベルを求めています。」
秋田院長が行った改革の一つが兵庫県の養成医システムの充実である。
「神戸大学医学部は1学年110人ほどですが、そのうち10人ぐらいが兵庫県の奨学金をもらっています。これは卒後9年間の義務年限を兵庫県内で仕事するというもので、この人たちをしっかり教育するハブの病院を作りたいと考えました。私が着任した当初は1人だけだったんですが、今は5人まで増えてきています。」
また、医療職を地域で育てていこうと、2014年に地域医療教育センターも新設した。これは兵庫県の病院では初めてのものであり、研修医のみならず、学生教育に関わる教育者(clinician educator)の養成も目指している。
「長野県の佐久総合病院が一つのモデルです。佐久総合病院は急性期だけでなく、在宅や地域に出て、健康を守る活動まで行い、全国から若い医師が集まっています。本当の地域医療を実践していますし、診療レベルが高く、教育病院としてもレベルが高いです。当院もそういう病院になり、地域医療のあり方を全国に発信していきたいですね。私が着任したとき、病院再生のための戦略と戦術を考えました。戦略は地域医療をキーワードの一つにした教育拠点を作ること、戦術は教育機能を高めるべく、地域医療教育センターを作り、地域医療教育をきちんと行っていることをアピールすることだったんです。」
地域医療教育センターでは医療職に就く人材を確保することが課題となっている。
「医療職を地域で育てていくことは大事なことだとつくづく感じています。この地域で医師になる人は極めて少ないのですが、その人たちが地域に残ってくれることはもちろん、看護師をいかに育て、ここに残って勤めてもらうかが重要ですね。私や看護部長が高校に出向き、医療職に就きたい人たちに医療の楽しさや遣り甲斐などを講義して、医療に興味を持ってもらうことを考えています。地域で種を撒かないといけないといつも言っています。」
兵庫県立柏原病院は神戸大学医学部の学生実習の場でもあり、実習に来たことによって、初期研修の病院に選ぶ医学生が増えてきたという。
「地域に来ないと、その良さは分かりませんから、医学生にはできるだけ早い時期に実習に来てもらっています。神戸大学の学生さんに『柏原って知ってる』と聞くと、『行ったこともないし、知りません』とよく言われますが、2週間の実習後は『居心地が良くて、仕事も楽しく、勉強もできる』と言って、初期研修を希望してくれる人が増えています。私が着任したときは1年目・2年目各3人の枠に対し、2年目の初期研修医が2人しかいなかったのですが、今は1年目・2年目合わせて11人いるんですよ。」
2019年には兵庫県立柏原病院と柏原赤十字病院が統合再編し、320床の新病院が誕生する。県立病院と日本赤十字社の病院との統合は全国で初の試みとして、注目されている。
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