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「整形外科・消化器疾患を中心とした質の高い急性期医療を提供する」
牧ヘルスケアグループ 特定医療法人清翠会 牧病院
プロフィール
牧病院(大阪市旭区新森)
大阪市旭区は大阪市の北東部、淀川左岸に位置し、守口市と境を接する。区内には京阪電鉄本線や大阪市営地下鉄谷町線、今里筋線が通っているが、2019年には城東貨物線を改良したおおさか東線が開通する予定になっている。全国でも有数の商店街である千林商店街や毎年6月には13,000株の花菖蒲が咲く城北公園があり、観光客からも親しまれているエリアだ。
牧病院は旭区新森に立地する急性期病院である。人口10万人の旭区と人口15万人の守口市の境界近くにあり、整形外科や消化器疾患に特に力を入れているが、二次救急病院として、365日24時間体制で地域のニーズに応えている。
今月は特定医療法人清翠会の牧恭彦理事長と牧病院の吉田隆院長にお話を伺った。
牧 恭彦 理事長 プロフィール
1963年に大阪市で生まれる。1988年に神戸大学を卒業後、京都大学医学部附属病院整形外科に入局し、京都大学医学部附属病院で研修する。1989年に倉敷中央病院、1991年に岸和田市民病院を経て、1993年に牧病院に勤務する。1995年に牧病院院長、1998年に清翠会理事長に就任する。
日本整形外科学会専門医など。
吉田 隆 院長 プロフィール
1964年に大阪市で生まれる。1992年に大阪医科大学を卒業後、大阪医科大学第二内科に入局する。2年間の研修後、1994年に門真市の蒼生病院に勤務する。1995年に枚方市民病院に勤務する。2006年に牧病院に消化器内科部長として着任する。2010年に牧病院院長に就任する。
日本消化器病学会専門医・指導医、日本消化器内視鏡学会専門医・指導医など。
病院の沿革
牧病院の沿革については、牧理事長にお話を伺った。牧病院が設立されたのは1969年2月である。初代院長である牧安孝医師が大阪市旭区清水3丁目に26床の病院を開設した。
「その前は診療所だったのです。先代は京都大学医学部附属病院の外科医でしたが、医療資源を活かして地域に貢献したいということで、診療所を開業しました。病院はその延長上です。当時の旭区はまだ田舎だったのですが、人口が増えてくるだろうという見込みがあり、地域医療のニーズに応えるために増床して、病院になりました。内環状線沿いで、人通りの多い千林商店街からのアクセスがいい場所を選んだので、とても恵まれた立地だったと思います。」
1980年には80床に増床し、翌年に救急告示病院の承認を受ける。1994年に療養型病床群を30床でスタートさせる。大阪市内で初めてのケアミックス病院の誕生だったという。1996年に訪問看護ステーション、1998年に老人保健施設、1999年に居宅介護支援事業所、ヘルパーステーションを相次いで開設し、高齢社会を見据えた布石を打っていく。
一方、牧病院では建物の老朽化が進み、建て替えの検討が始まった。
「周囲が建て込んでいるので、現地での建て替えは難しかったんです。床面積の基準が変わり、1.5倍ほどの床面積が必要になるので、同一のサイズでの建て替えもできません。移転先を探すのに5年ぐらいかかりましたね。苦渋の決断でこの場所に移転してきました。この場所には立体駐車場があったのですが、それを取り壊したり、近隣の問題などをクリアしていくのに苦労しました。」
牧病院は2004年に旭区新森7丁目に移転を行う。それまでのケアミックス病院を廃し、移転後は急性期病院となった。
「引っ越しはやはり大変でしたね。移転の前は80床のうちの30床は療養型でしたが、全てが急性期となると人材の確保をしないといけません。患者さんの移転も行いました。療養型の患者さんが移転されたあとは空いたベッドを埋めないといけませんでしたので、理事長、院長も現役医師のように、週に半分ぐらい当直していました(笑)。新築移転のときに『エブリディ、エブリシング牧』というキャッチフレーズがあったんです。重症は無理にしても、いつでも、何でも診ますよということですが、その実践に努めていましたね。内科と整形外科を24時間体制で診るというロケットスタートを切ったので、何とか軌道に乗せられたと思っています。」
移転後の牧病院の歩みも順調である。2009年には内視鏡室を移転し、内視鏡センターと改めた。同年に日本消化器病学会の認定施設の届け出も受理される。
「開設以来、コミュニティホスピタルとして地域医療に邁進してきましたが、現在は保健医療福祉の複合体となっています。これからも地域連携を重視し、早期の在宅復帰に取り組んでいきます。」
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