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独立行政法人 労働者健康福祉機構
九州労災病院門司メディカルセンター

プロフィール

門司メディカルセンター

独立行政法人 労働者健康福祉機構 九州労災病院 門司メディカルセンター

 政令指定都市である福岡県北九州市の門司区は九州の最北端に位置する。石炭の積み出しや貿易の中継基地である港湾都市として、栄えてきた。関門海峡を挟んで向かい合う山口県下関市との間を関門連絡船や関門トンネル、関門橋が繋ぎ、本州から九州への玄関口になっている。JR鹿児島本線の門司港駅と九州労災病院門司メディカルセンター(以下 門司メディカルセンター)の間は街全体が明治、大正時代を思わせるレトロな雰囲気である。古くは源平合戦のあった壇ノ浦や宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘をした巌流島もすぐ近くに望める、歴史ある地区になっている。
 門司メディカルセンターは、そのような歴史ある地区で働く人々への勤労者医療と住民の健康管理を担う病院として、地域密着の医療を提供している。門司メディカルセンターは労働者健康福祉機構が開設した労災病院であり、長い伝統と歴史がある。1955年5月に九州労災病院門司分院として開設され、そのときの使命は労働者の健康を守り、労働災害を防止し、疾病や外傷の専門的治療と職場復帰を促すことであった。現在も救急疾患や外傷を積極的に受け入れ、安全で質の高い診療を行う。
 門司メディカルセンターは北九州市東部の基幹となる急性期総合病院として、常勤医により、内科(内科一般、血液内科、リウマチ・膠原病内科、糖尿病・内分泌・代謝内科)、循環器・腎臓内科、神経内科、外科および消化器外科、整形外科、脳神経外科、皮膚科、泌尿器科、眼科、リハビリテーション科、歯科、放射線科の外来・入院診療を行い、非常勤医により、消化器内科、呼吸器内科、メンタルヘルス科、形成外科の診療、検査を行っている。
 今回は門司メディカルセンターの蜂須賀研二院長にお話を伺った。


蜂須賀 研二

蜂須賀 研二 院長 プロフィール

1949年に福岡県で生まれ、宮崎県宮崎市で育つ。1975年に慶応義塾大学を卒業後、慶応義塾大学リハビリテーション医学教室に入局し、慶應義塾大学病院での研修のほか、国立療養所村山病院(現 村山医療センター)、国立塩原病院(現 栃木県医師会塩原温泉病院)へそれぞれ1年から2年の勤務を行う。1980年に慶應義塾大学月が瀬リハビリテーションセンター(現 伊豆慶友病院)助手に就任する。1984年にMayo Clinic末梢神経センターに留学する。1986年に慶應義塾大学病院リハビリテーションセンター助手に就任する。1987年に産業医科大学医学部リハビリテーション医学の講師に就任する。1991年に産業医科大学医学部リハビリテーション医学助教授に就任を経て、1999年に産業医科大学医学部リハビリテーション医学教授に就任する。2014年4月に門司メディカルセンターに院長として着任する。また、2015年に産業医科大学医学部リハビリテーション医学名誉教授に就任する。
日本リハビリテーション医学会認定臨床医・リハビリテーション科専門医・指導責任者、日本脳卒中学会専門医、北九州市障害福祉センター嘱託医など。日本整形外科学会、日本神経学会、日本脊髄障害国際パラプレジア医学会、日本義肢装具学会、国際義肢装具学会、日本職業・災害医学会、日本摂食・嚥下リハビリテーション学会にも所属する。

病院の沿革


 門司メディカルセンターの近隣にある門司港は1889年(明治22年)11月に国の特別輸出港に指定され、米、麦、麦粉、石炭、硫黄に限定した輸出港となった。それ以降、金融機関や商社、海運会社の支店が相次いで進出し、外国航路の拠点、また貿易港として大いに発展した。
 一方で、港湾に携わる勤労者の病気や怪我が多かったことから病院を作ってほしいという地域からの声が上がり、もともとあった九州労災病院の門司分院として、1955年5月に開設された病院である。2年後の1957年7月には門司労災病院と改称し、発展していった。

「福岡県には労災病院が5つあったため、国の病院運営の見直しの考えからも、門司労災病院を廃止する検討をされたこともあったそうですが、地域の住民の皆さんの強い要請がありました。2008年に九州労災病院門司メディカルセンターに名称が変更され、今に至っています。」

2016.02.01 掲載 (C)LinkStaff

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