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「急性期総合医療を目指して」
医療法人渓仁会 手稲渓仁会病院
プロフィール
医療法人渓仁会 手稲渓仁会病院
北海道札幌市手稲区は札幌市と小樽市を結ぶ国道5号線沿いに広がる区で、札幌市のベッドタウンとして発展し、13万人を超える人口を有する。区の南西部には手稲山があり、札幌オリンピックのスキー会場になったことで知られているが、現在も年間100万人を超えるスキーヤーが訪れている。
手稲渓仁会病院は1987年の開設以来、地域住民から頼りにされるかかりつけ医として、同時に質の高い急性期総合医療を提供する病院を目指して、医療に取り組んできた。診療科は34、病床数は595床(集中治療室12床、ハイケアユニット12床、救命救急病床19床、脳卒中ケアユニット9床、NICU3床、開放型病床5床を含む)を数える。現在は地域医療支援病院、地域がん診療連携拠点病院、救命救急センター、ドクターヘリ基地病院、災害拠点病院、初期臨床研修指定病院などの指定を受けるに至っている。
今回は手稲渓仁会病院の成田吉明院長にお話を伺った。
成田 吉明 院長 プロフィール
1960年に北海道旭川市で生まれ、幼児期に札幌市へ転居する。1985年に北海道大学を卒業し、1989年に北海道大学大学院を修了する。北海道大学第二外科に入局し、1985年から1995年の間、帯広厚生病院、伊達赤十字病院、北海道大学病院に勤務する。1995年から1997年には文部教官助手として北海道大学病院に勤務し、1997年4月に手稲渓仁会病院へ入職する。1997年に外科主任医長、2006年に外科部長、2013年に副院長兼地域連携福祉センター長に就任を経て、2015年4月に院長に就任した。
日本外科学会指導医・専門医、日本呼吸器外科学会指導医・評議員、日本乳癌学会認定医、日本胸部外科学会認定医、肺がんCT検診認定医師、日本がん治療認定医機構認定医、検診マンモグラフィ読影認定医など。
病院の沿革
手稲渓仁会病院は1987年12月に北海道札幌市手稲区に開設された。病床数は500床であった。1988年には救急病院の指定を受け、1990年には総合病院の承認を受ける。
「当院は開設以来、地域住民の皆さまから頼りにされるかかりつけ医として、同時に質の高い急性期総合医療を提供する病院を目指して、職員一同で研鑽を積んできたのです。」
1997年には厚生省(現 厚生労働省)から臨床研修病院の指定を受け、救急部も開設される。許可病床数も524床となった。
2000年に手稲渓仁会クリニックを開院し、2001年に北米方式の臨床研修システムを導入する。また、ドクターヘリのシミュレーションを実施したのもこの年だ。
2005年に救命救急センターの指定を受け、ドクターヘリの正式運航が開始される。2007年に救命救急センター(E棟)が開設され、許可病床数が547床となる。2008年に小児NIVセンターが開設され、2012年に小児在宅医療・人工呼吸器センターに改称される。2010年にはNICUの新設も行った。
2009年に地域がん診療連携拠点病院、2011年に地域災害拠点病院、2012年に地域医療支援病院の指定を受ける。
「また、初期臨床研修指定病院の指定や、大学附属病院と同等の機能を有すると認められた病院に与えられる、高診療密度病院であるDPC医療機関群II群の承認を受けるに至りました。」
2014年にはE5病棟が開設され、許可病床数は595床になった。
「当院は今、500床以上の大病院や地域医療支援病院が取り組まねばならない政策医療である、病院完結型から地域完結型の医療体制への変革の只中にいます。一方で、医療機関に求められている機能分化、役割分担の方向性と、フリーアクセスが当たり前であった時代の患者さんの意識に現時点で温度差があるのも事実です。しかし、超少子高齢社会、人口減少社会が目前に迫る中で、当院が地域の中核病院として果たすべき役割は地域住民の皆さまの理解を得ながら提携医療機関との連携をより一層深め、在宅医療も含めた地域の医療機関全体で切れ目のない医療を提供していくことだと確信しています。何事にも多職種の職員で一つのチームとして努力してまいります。」
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