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公益財団法人東京都医療保健協会
練馬総合病院
プロフィール
公益財団法人東京都医療保健協会 練馬総合病院
東京都練馬区は緑が多く、閑静な住宅街が広がる区である。区の東部に位置する旭丘は1932年の板橋区成立時には板橋区に属していたが、1947年に練馬区が板橋区から分区して成立したときに練馬区に移管された。街の西側に西武池袋線の江古田駅があり、池袋まで7分の距離である。各社の路線バスも中野駅や新宿駅など、各方面へと路線を伸ばしている。また、日本大学の江古田キャンパスもあり、芸術学部の学生で賑わう。
練馬総合病院は江古田駅から徒歩7分の練馬区旭丘にある急性期病院で、内科、小児科、外科、脳外科、整形外科、泌尿器科、産婦人科、眼科、皮膚科、漢方内科、循環器内科、循環器外科、放射線科、リハビリテーション科、麻酔科を擁し、病床数は224床を数える。2012年には東京都知事から公益財団法人の認可を受けるなど、新たな一歩を踏み出している。
今回は練馬総合病院の飯田修平理事長・院長にお話を伺った。
飯田 修平 理事長・院長 プロフィール
1946年に東京都で生まれる。1971年に慶應義塾大学を卒業後、慶應義塾大学病院外科に入局する。1972年に社会保険埼玉中央病院(現 埼玉メディカルセンター)外科、1973年に国立霞ヶ浦病院(現 霞ヶ浦医療センター)外科に勤務を経て、1974年に慶應義塾大学病院外科に勤務する。1977年に厚生連伊勢原協同病院外科に医長として着任する。1980年に慶應義塾大学病院外科に帰任し、1985年に練馬総合病院外科に勤務する。1991年に練馬総合病院院長に就任する。2000年に練馬総合病院理事長を兼任する。2003年に林芳男氏が理事長に就任するが、林氏の逝去に伴い、2011年に理事長に就任する。2012年に公益財団法人の認定を受け、公益財団法人東京都医療保健協会練馬総合病院理事長に就任する。
日本外科学会指導医、日本消化器病学会指導医、日本消化器外科学会認定医など。
病院の沿革
東京都練馬区は1947年8月に板橋区から独立した。まだ終戦後の雰囲気が色濃く残っていた時代であるが、地域住民の要請を受ける形で、1948年3月に練馬病院が設立された。
「現在地からは西武池袋駅の線路を挟んだ場所にありました。練馬区の独立と同時に、練馬区内にいい病院が欲しいとの住民の声が上がり、住民の力を結集させてできた病院なのです。」
江古田駅周辺は爆撃を受けなかったために、古い木造の家が残り、畑が広がっていたという。病院はさつまいも畑を整地した土地に建てられた。木造2階建てで、100床の病床数があった。
「名実ともに、地域住民による、地域住民のための地域の病院です。理事や評議員の過半数が地域住民なのです。視察したGHQのサムス准将が高く評価したそうですよ。」
1950年に診療科目が内科、小児科、外科、産婦人科、皮膚泌尿器科、耳鼻咽喉科、眼科の7科になり、労災指定病院となった。1953年には利用組合出資金を基礎に、「財団法人東京都医療保健協会東京練馬病院」になった。
1951年の統計では日本人143人に1人が結核になっていた時代であり、東京都職員組合の要望を受け、東京練馬病院でも1955年に80床の結核病棟を新設し、1957年には156床にまで増床した。
1963年に練馬総合病院に名称変更し、総合検査室、解剖室、図書室、病理室、講堂を備えた。そして、1970年には病院の敷地を拡大し、建物の増改築を行った。鉄筋地下2階、地上7階で、病床数は245床となった。
「当時としては画期的で、機能的な病院でした。今でこそ当たり前になったナースセンターのオープンカウンターや各部署での通信網などが整備されました。」
しかし、1985年に第一次医療法改正が行われたのをきっかけに、練馬総合病院の経営状況は急速に悪化した。1990年に運営委員会が設置され、当時は外科医長だった飯田理事長も参加する。そして、1991年に飯田院理事長体制になったのを機に、組織改革が始まった。
「私は就任挨拶で『職員が働きたい、働いて良かった、患者さんがかかりたい、かかって良かった、地域に在ってほしい、あるので安心といえる医療をおこなう』を経営方針として全職員に明示しました。その後、急速に経営は好転しました。これを、その後、理事会に諮り、当院の理念としました。」
1996年に医療の質向上活動(MQI : Medical Quality Improvement)を開始し、総合的質経営(TQM : Total Quality Management)を実践している。
さらに、これまで運営してきた場所の近くに建設用地を確保し、2007年に新病院での診療開始となった。
「土地の確保に苦労しました。10年ぐらいを要したのではないでしょうか。資金も苦しい中で、2005年4月に土地の確保に漕ぎつけ、9月に着工しました。2006年12月30日に大きな問題もなく、移転しました。」
2012年には東京都知事により、公益財団法人の認定を受け、「公益財団法人東京都医療保健協会」へ移行し、「公益財団法人東京都医療保健協会練馬総合病院」としての歴史が始まった。
「公益財団法人への認可基準は厳しく、医療を行っているだけでは認められません。当院では常に公益とは何かと考えて、練馬総合病院の設置、運営を基盤として公益活動を実践してきました。この実績が評価されて、公益財団法人として認可されたのです。」
公益財団法人東京都医療保健協会が定めた定款の「第2章 目的及び事業」の第3条には「本財団は、国民の保健向上に必要な医療をなし、地域医療を担う中核的な病院として貢献し、特に生活習慣病及び高齢患者に対する療法とその療養生活の指導並びに研究、及び安全で質の高い医療を提供するための科学的管理手法の研究開発・実践のために医療・介護施設の設置経営とそれに附帯する事業を実施し国民の健康保持に寄与することを目的とする」とある。
練馬総合病院では1996年から医療の質向上活動を開始し、質重視の経営、つまり総合的質経営(Total Quality Management)の実践に努めてきた。
「当院の科学的管理手法を普及させるべく、書籍を出版したり、研修会などを行ってきました。医療界だけでなく、一般の産業界、学会、行政などとの交流や連携にも取り組んでいます。一般の産業界から学べることも多くありますが、医療界からの情報発信も大事です。今後も医療団体の関係者や地域の皆さんに広めていきたいですね。」
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