梅ヶ丘ひかり眼科
當間 弘子 院長プロフィール
1963年に福島県会津若松市で生まれる。1989年に東邦大学を卒業後、東邦大学医療センター大橋病院一般内科、循環器科で研修を行う。東京労災病院循環器科、自治医科大学集中治療部・麻酔科、国立国際医療センター消化器科、循環器科で経験を積む。特にCCU勤務は計13年間に渡り、主に心筋梗塞、狭心症急性治療に携わった。1991年に東邦大学医療センター大橋病院旧第三内科助手、1994年に東芝病院循環器科を経て、2001年に羽田とうまクリニック副院長に就任する。2006年に虎ノ門とうまクリニック院長に就任する。2012年12月にクリニックを大井町に移転し、大井町とうまクリニック院長に就任する。日本循環器学会専門医、日本内科学会総合内科専門医、日本医師会認定産業医など。日本糖尿病学会、日本インターベンション学会、日本抗加齢医学会、日本更年期医学会にも所属する。
東京都品川区大井は品川区の南東部に位置する。街の中心である大井町駅にはJR京浜東北線、東急大井町線、東京臨海高速鉄道りんかい線が通り、駅前は各方面に向かうバスのターミナルがあるなど、アクセスに恵まれる。
大井町とうまクリニックは大井町駅から徒歩5分の場所に2012年12月に開業したクリニックである。當間弘子院長のほか、8人の非常勤医師を擁しているため、各分野の専門医による外来、高精度の検査を行っていることが特徴だ。動脈硬化ドックや乳腺ドックなどの特殊ドックでは日本全国のみならず、海外からの患者さんもいらしているという。一方で、在宅医療にも積極的に取り組んでいる。
今月は大井町とうまクリニックの當間弘子院長にお話を伺った。
開業に至るまで
◆ 医師を目指された経緯をお聞かせください。
特に明確な動機はないですね。妹の身体が弱かったため、私は母方の伯父の家に預けられることが多かったのですが、伯父は内科医院を営んでいました。伯父に連れられ往診について行ったり、地域医療を行う伯父の背中を見て育ちました。
従兄弟たちが医学部に進学するのを見て、自然に医師を志していました。ほかに選択肢はなかったですね。高校では医学部進学コースに入っていました。
◆ 大学時代はどのような学生でしたか。
伯父夫婦は私を末娘のように可愛がってくれましたが、「苦労することはない」と医学部進学には反対だったんです。そういう反対を押し切って医学部に入学したからには気合を入れて頑張ろうと決めていました。1年生から6年生までの夏休みと冬休みは病院実習に明け暮れ、1年生から5年生までは都立広尾病院にお世話になりました。当時は学生でも動脈ラインや気管切開などをさせていただけたんです。医師になったときにはそういった手技ができるようになっていましたし、ICUを経験できる病院で働きたいという強い思いもありました。一方で、よく遊んでもいました(笑)。
◆ 大学時代はどんなご趣味をお持ちでしたか。
中学1年生の頃からヴァイオリンを習っていたので、大学でも続けていました。大学のオーケストラのほか、色々なオケに参加していましたよ。合奏は楽しいですし、綺麗なハーモニーになると、「やったー」という達成感がありました。
◆ 専門を循環器内科に決めたのはどんな理由からですか。
もともとは外科志望だったんですが、脳神経外科では女性は言語道断という感じでしたし、消化器外科は聖地みたいな場所ですから断られました(笑)。乳腺外科ならと勧めていただきましたが、毎日のように乳腺の手術をすることに興味が持てなかったんです。そこで、次にダイナミックなのは心臓血管外科か、循環器内科だと思いました。当時は東邦大学医療センター大橋病院の循環器内科はスターダムでしたし、全身管理ができることに惹かれて循環器内科を選びました。
◆ 母校に入局されたのはどうしてですか。
今のシステムなら入局していなかったかもしれませんね(笑)。当時は母校以外で研修するという発想はなかったです。私が所属した第三内科は「外の飯を食う」教育に重きを置いており、私も東邦大学医療センター大橋病院のほか、東京労災病院、自治医大、国立国際医療センターなどで激しい勤務を経験しました。そういう雰囲気の医局ですから、勉強になりましたし、医局で教わったことは今も役に立っています。
◆ CCUの勤務が長かったのですね。
勤務医生活の全て、13年間に渡って携わりました。「今晩が勝負」というような、伸るか反るかの中で全力投球をして、そして結果を待ちます。燃えていましたね。途中で出産もしました。産前6週、産後8週の休暇がありましたが、産後は8週も経たないうちに復帰しました。育児にあたっては母やベビーシッターの手助けを得ました。
◆ 勤務医時代を振り返って、いかがですか。
勤務医時代はダイヤモンドです。医師になった価値はここにあったと言っても過言ではなく、最高でしたね。私の場合は泣く泣く開業したという経緯ですから、体力や気力が許すなら、勤務医に戻りたいですよ。勤務医の醍醐味はチーム医療にあります。毎日が興奮の坩堝で、エキサイティングでした。
開業の契機・理由
◆ 開業の動機をお聞かせください。
勤務医として充実した毎日を送っていましたが、小学生だった娘にトラブルが起きたのです。当時の夫は東京労災病院の循環器内科の部長であり、カテーテルのトップオペレーターを務めていましたが、そんな夫が「家庭を優先しよう」と開業を決意したので、私も副院長として、夫の開業を支えることにしました。
◆ 開業にあたってはどんなことをメインにしようと考えていらっしゃったのですか。
患者さんがフリーアクセスで来られ、話しやすく、頼りになるクリニックにしたかったですね。勤務医ですと、黙っていても患者さんが来てくださいますが、開業医には覚悟が必要です。自分自身を変え、辛抱強く患者さんをお待ちしようと思いました。
◆ 開業地はどのように決められたのですか。
羽田で開業したのは東京労災病院の近くだからです。夫が診ていた患者さんの利便性を考慮しました。
◆ 虎ノ門とうまクリニックを開業しようと思われたのはどうしてですか。
お蔭様で羽田とうまクリニックは患者さんが増え、6ブースの診察室が埋まるほどになっていました。でも、やはり羽田とうまクリニックは夫の、夫による、夫の患者さんのためのクリニックだったんですね。私としては私自身の城が欲しかったですし、女性のためのクリニックを作りたかったので、夫とは別に開業することにしました。開業地に虎ノ門を選んだのは港区でやりたかったからです(笑)。
◆ 虎ノ門とうまクリニックではどういう診療をメインにされたのですか。
動脈硬化がメインですね。また、婦人科のメンタルヘルスも行っていたので、不定愁訴も診ていました。女性の患者さんが多かったです。最初の3カ月は患者さんがなかなかいらっしゃらなかったのですが、4カ月目になる頃、テレビ東京の「主治医が見つかる診療所」に取り上げていただいたこともあって、大幅に増患しました。
◆ 大井町への移転を決めた理由をお聞かせください。
東日本大震災があり、私の故郷の福島県は大きな被害を受けました。私も応援に駆け付け、地元の医師と一緒に避難してきた患者さんを診ていました。そんな中で、年老いた患者さんが地元の女性医師のファーストネームを必死で呼び求める姿を見て、大きなショックを受けました。地方の医療は技術的にも医療材料的にも都市部の医療には及ばないと、それまで思っていましたが、地方ではこれほど患者さんと心と心でつながる深い関係のもとで医療が行われているのだなと。これまでテレビや雑誌に取材されて、全国あるいは海外から患者さんが訪れ、ちやほやされていた私がやってきた医療は、商業的なとても薄っぺらなものに思えて悲しかったですね。この経験を機に福島で開業しようと思ったのですが、私の居場所はないと言われました。
そこで、医師になった頃の気持ちを思い出し、下町でやり直そうと決めました。公認会計士さんも、税理士さんも反対しましたよ。でも、スタッフが皆、ついてきてくれたのが有り難かったですね。
◆ 開業地をご覧になっての第一印象はいかがでしたか。
移転の候補地としては大井町か、自宅のある調布市内でしたが、恵まれない方々が多い大井町を選びました。東芝病院に勤務していましたので、地の利があることは良かったですね。この物件を見に来たときに周辺を歩き、色々な年代の方々が種々雑多に生活しておられる街だという印象を受けました。ですから、患者さんのターゲットを定めることはできなかったですね。
◆ マーケティングはなさいましたか。
医薬品の問屋さんがしてくださいましたが、結果はあまり気にしませんでした。競合は多いのですが、東芝病院時代の患者さんがいらしてくださるだろうという期待を持っていました。
◆ 虎ノ門から大井町への移転にあたって、ご苦労された点はどんなことですか。
医療機器の搬送です。虎ノ門で使っていた機材をそのまま持ってきたのですが、コストパフォーマンスや耐用性の点からも非効率でしたね。クリニックの移転を考えていらっしゃる先生方には搬送よりもリースアップをお勧めします。搬送してしまうと、精密機器ですからセットアップも大変ですし、費用もかかります。私どもでは移転後に超音波と内視鏡を買い換えました。
◆ 医師会には入りましたか。
虎ノ門時代は港区医師会に入っていましたが、移転後は品川区医師会に入っています。また、蒲田医師会のB会員でもあります。医師会のメリットは検診ですね。港区医師会は東大と慈恵の出身の先生方が多かったのですが、品川区医師会は昭和と東邦の出身の先生方が多く、東邦の先生方にはとても歓迎していただきました(笑)。
◆ 移転当初はどのようなスタッフ構成でしたか。
虎ノ門時代と全く変わっていないんですよ。非常勤医師8人、生理機能検査技師7人、常勤看護師1人、非常勤看護師6人、常勤事務3人です。今は看護師は全員が非常勤になり、常勤事務が2人になったほか、生理機能検査技師を1人増員しています。また、訪問診療のために運転手も雇用しています。
◆ 医療設備については、いかがでしょうか。
超音波は心臓と腹部の他 動脈 静脈、乳腺、リンパ節、関節、消化管すべてを行うものにし、乳腺や心不全の指標を見るための特別なソフトも完備しました。よく、クリニックレベルでは考えられないフル装備と言われます。その他、3本の内視鏡や洗浄機も揃えました。検査には力を入れたかったので、設備は充実させています。運動負荷心電図、ホルター心電図、24時間血圧計、呼吸機能検査、骨密度検査、脂質の緊急検査、糖尿病検査、炎症反応検査のほか、ABI/PWVもあります。
◆ 設計や内装のこだわりについて、お聞かせください。
虎ノ門とうまクリニックはリッツ・カールトンホテルと同じデザイナーにお願いしたのですが、大井町は至ってシンプルです(笑)。高齢の患者さんがつまづくことなく、入ってこられるようにしてありますし、分かりやすい動線を心がけました。診察室は3つあり、横に並べたかったのですが、エルゴメーターのある処置室で何かあったら、私がすぐに行けるような配置にしました。
クリニックについて
◆ 診療内容をお聞かせください。
総合内科、循環器、腎臓、呼吸器内科、消化器内科、糖尿病・代謝科、甲状腺の専門医が揃っています。循環器は超音波の専門医が2人いますので、力を入れていますね。また、糖尿病専門医の田口円先生による外来は「行列ができる」として人気があります。
乳腺外来にも積極的に取り組んでいます。数年前、私自身が乳がんになりました。かなり進行していたものを自分で見つけたのです。マンモグラフィに映らない乳がんも少なくなく、エコーで見つけるには高度なテクニックを要します。私はかなりのトレーニングを積んできたため、私どもではごく早期のがんでも発見した実績があります。
◆ どういった方針のもとで、診療なさっているのですか。
分かりやすい言葉での説明を心がけています。「分かりましたか」と尋ねても、どこがどう分かるのか、また分からないのかなどの理解が難しい患者さんもいらっしゃいますので、噛み砕いて説明していますね。そして、患者さんを目上の方だと思い、丁寧な言葉遣いをするようにしています。私が一方的に指示したり、何かを押し付けることがないように、気をつけています。
◆ 在宅医療もなさっていますね。
羽田とうまクリニックでも在宅医療を行ってきましたので、羽田から移ってこられた患者さんもいらっしゃいます。在宅医療は外来とは全くの別物ですね。外来では患者さんは、少しよそ行きのお顔で、なかなか病気をもたらしている普段の生活の素の姿が見えにくかったりします。でも、在宅医療は、患者さんが日常生活を私たち医療者に晒さざるを得ないわけです。すべてを見せてくださるお気持ちに応える覚悟がこちらにも必要だと思います。寝巻姿や、部屋や流しの茶碗までそのままだったりするところを見せていただくわけですから、見せたくないところも見せるその信頼にお答えしようと努力することが大切です。また、患者さんの本当の生活も見ることで、病気の全体像を把握することができるのも在宅医療の面白さですね。患者さんと人間的に向き合えますから、私は在宅医療が大好きなんです。
◆ 外来にいらっしゃる患者さんの層はいかがですか。
高齢の方が半数です。それから、中高年の方ですね。虎ノ門時代は若い方が多かったですが、こちらに移ってからも、それなりにいらしています。
◆ 検診はどのような内容で行っていますか。
こちらでは人間ドックをするつもりはなかったのですが、虎ノ門時代に有名になってしまいましたので、せざるを得なくなりました。患者さんから「人間ドックをしないのですか」というお叱りの電話があったりしたのです(笑)。ただ、虎ノ門で行っていた婦人科検診は取りやめ、規模を少し縮小しています。
現在は法定I、法定II健診、雇入健診のほかは、胃ペプシノゲン法、胃内視鏡による生活習慣病ドック、シルバードック、とうまスペシャル心臓・動脈硬化ドック、とうまオリジナル動脈硬化ドック、甲状腺ドック、脳ドック、乳腺超音波ドックなどを行っています。
◆ 病診連携については、いかがですか。
連携している主な病院は虎ノ門病院、東京慈恵会医科大学附属病院、東京都済生会中央病院、東邦大学医療センター大橋病院、東邦大学医療センター大森病院、NTT東日本関東病院、昭和大学病院、東芝病院、東京共済病院などですね。分野ごとに、専門医がおられる病院をご紹介しています。
◆ 経営理念をお教えください。
私は経営者としては駄目ですね(笑)。でも、目先の儲けに惑わされるなということを常に考えています。人間ドックにしても、患者さんの時間やニーズなど、その方にとってのベストのものを提供できるようにと、スタッフにも伝えています。
その意味で、ボランティアとして朗読教室も行っています。朗読で声を出すことにより、声帯手術や肺切除後の患者さん、COPDの方、体力低下した方たちが、大きな声と元気を取り戻していく姿はいいですね。
◆ スタッフ教育はどのようにされていますか。
週に1回、ミーティングを開き、問題点を話し合っています。恵まれていたことに、東芝病院で一緒だった看護師さんが私どもに入職してくれたので、こちらが教育しなくてもスムーズに仕事をしてくれるんです。一方で、生理機能検査技師は年に数回の勉強会を行い、乳腺や消化器、心臓などについての最先端の知識を得てもらっています。
また、事務スタッフとはレセプト作業を一緒に行いながら話をするほか、外部の勉強会に自主的に参加させています。
◆ 増患対策について、どのようなことをなさっていますか。
ビルの前に大きめの看板を出していることとホームページですね。ホームページは患者さんの息子さんが作ってくださいました。大井町は下町ですから、来院動機はほとんどが口コミなんです。患者さんが気分よく、笑顔で帰っていってくださることが口コミに繋がると信じています。
開業に向けてのアドバイス
2001年に羽田で夫と開業したときはすぐ軌道に乗り、2006年に虎ノ門で開業したときも約3か月で来院患者数は膨れ上がり、最初の1年は非常に順調でした。しかし、リーマンショックと、その後私自身のがんの闘病で、その後約2年ほど闘いの日々になりました。その間赤字になったことはないものの、虎ノ門では必死に増患対策をし必死でした。その後順調になった虎ノ門のクリニックは2012年に大井町に移転し、私は3回の開業を経験したわけですが、段々と目に見えて収益が悪化しています。今年4月の保険診療点数の改正で、開業医はますます不利になりました。開業にあたっては十分に吟味したうえで小さく開業すること、当面の苦しさを覚悟することが必要です。また、手持ちの資金も準備した方がいいですね。資金がないのに、借り入れを行うのは今の時代では避けるべきです。戦略を練り、得意なことで勝負すべきですね。特殊性を打ち出して、差別化を図らなくてはいけません。機器の選定やスタッフ教育も同様です。
プライベートの過ごし方(開業後)
趣味はミュージカル、オペラ、クラシック音楽の鑑賞ですね。旅行も好きです。開業する前は開業後はヴァイオリンを再開したい、語学留学もしてみたいと考えていたのですが、まだ実現していません。そのうち、実現させたいですね。
タイムスケジュール
クリニック平面図
クリニック概要
医療法人社団 彩珠会 大井町とうまクリニック | ||
院長 | 當間 弘子 | |
住所 | 〒140-0014 東京都品川区大井町1-16-2 ブリリア大井町ラヴィアンタワー2F |
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医療設備 | 内視鏡(上部、下部)、超音波(心臓、腹部)、洗浄機、運動負荷心電図、ホルター心電図、呼吸機能検査機器、24時間血圧計、骨密度検査機器、ABI/PWV、脂質の緊急検査機器、糖尿病検査機器、炎症反応検査機器など。 | |
スタッフ | 27人(院長、非常勤医師8人、非常勤看護師7人、生理機能検査技師8人、常勤事務2人、運転手1人) | |
物件形態 | ビル診 | |
延べ面積 | 約36坪 | |
敷地面積 | 約36坪 | |
開業資金 | 約8000万円(虎ノ門に開業時)、約3000万円(大井町に移転時) | |
外来患者数の変遷 | 大井町に移転当初40人→3カ月後50人→6カ月後60人→現在70人 | |
URL | http://www.oimachi-toma-clin.com/ |
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