古田医院
古田 達之 院長プロフィール
1966年に群馬県伊勢崎市に生まれ、2歳より千葉県柏市で育つ。1993年に東京医科大学を卒業後、慶應義塾大学病院、練馬総合病院、国立霞ヶ浦病院(現 霞ヶ浦医療センター)で研修を行う。1996年に慶應義塾大学病院 一般消化器外科に勤務する。2000年より千葉県柏市の古田外科胃腸科医院 副院長。2008年に古田医院を継承。2010年には医療法人社団 双樹会を設立、理事長に就任。また、2004年から柏市医師会理事を務めている。日本外科学会認定医など。
千葉県柏市は人口40万人以上を有する、千葉県内5番目の都市である。市の中央部はJR常磐線、東武野田線、国道6号線、国道16号線が交差する交通の要衝となっており、市の北部には首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスが通っている。近年、開発が進む柏の葉地区には東大柏ベンチャープラザ、東葛テクノプラザなどの施設があり、ベンチャー企業の育成が行われている。また、柏の葉キャンパスシティとして、公民学が連携した新しい都市づくりが進められている。
古田医院の前身である古田外科胃腸科医院は、1968年にJR柏駅から徒歩10分の場所に開業した。開業以来、地域に密着した姿勢で患者の信頼を得ており、2008年に古田穣治院長からご子息の古田達之院長へと継承された。院長は外科出身で、開業医の役割を「患者の身近な存在として健康管理を行い、必要な場合には専門医につなぐこと」と話す。現在は柏市医師会の理事として、在宅医療や多職種連携の推進に取り組んでいる。
今月は古田医院の古田達之院長にお話を伺った。
開業に至るまで
◆ 医師を目指された経緯をお聞かせください。
医師である父の背中を見て育ったことが大きい。母方の祖父や叔父、従兄弟たちも医師が多く、環境もあるのでしょうか。私は父の勤務の関係で群馬県伊勢崎市に生まれ、2歳のときに父が千葉県柏市に開業、それ以来、柏で育ちました。父は千葉県我孫子市出身ですが、柏の発展を予想してこの地を選んだのでしょう。父も、母方の親戚も、皆外科医で、私も自然に外科医を目指しました。
◆ 大学時代はどのような学生でしたか。
ゴルフ部でした。東京医科大学の予科は歌舞伎町の近く、厚生年金会館の裏にあり、先輩に連れられてよく飲みに行きました。この時期に培ったコミュニケーション能力は今も役立っています。
◆ 大学時代はどんなご趣味をお持ちでしたか。
実習や試験、レポートが厳しく、部活動のほかは勉強に追われていました。私は高校まで慶應に通っていて、大学時代もその頃の仲間と時々会っていました。今も交流が続いています。皆が色々な仕事に就いているので、医療以外の話を聞ける、良い機会となっています。
◆ 卒業後に慶應の医局を選ばれたのはなぜですか。
外科の教育システムがしっかりしていたからです。慶應以外の出身者に対して差別なく学べる環境が整っており、2年目から関連病院に出されますが、そこでオペレーターになれるというのが魅力的でした。将来の自分にとって役に立つ研修になるという確信もありました。1年目は大学病院で一般外科6カ月、麻酔科3カ月、心臓血管外科・呼吸器外科・脳神経外科各1カ月のローテートを行い、2年目は練馬総合病院、3年目は当時の国立霞ヶ浦病院にフレッシュマン出張しました。研修医時代は一般外科を広く学びましたが、母が乳がんを患ったので、4年目に大学病院に帰ってからは乳腺を専攻しました。
◆ 専門を決められた経緯をお聞かせください。
家庭環境から自然と外科を目指していましたので、他科を考えたことはなかったです。外科医は自分の技術で患者を救えることが魅力でした。遣り甲斐のある毎日でしたが、私は外科医に向いていないのではないかと落ち込んだこともありました。患者を説得できなかったのです。父と同い年の患者だっただけに、とても考えさせられる出来事でした。しかし、そこで感じたのは開業医と勤務医のネットワークをきちんと築くことの重要性です。開業医が早期に診断し、手術目的で病院に紹介するといった病診連携が構築されていれば、患者にとっても、術前から術後まで安心できると思います。
◆ 勤務医時代を振り返って、いかがですか。
忙しかったという言葉につきます。勤務医時代は、妻には母子家庭と言われていました。現在高校生になる娘の育児には、全く関わることができませんでした。風呂に一緒に入った記憶もありません。開業後に息子が2人生まれ、一緒に風呂に入ったり、公園に行ったり、キャンプやスキーをしたりと楽しんでいます。
開業の契機・理由
◆ 開業の動機をお聞かせください。
当時の慶應の一般消化器外科は、卒後6年目ポストチーフとして関連病院に出張するというシステムでした。父は、43年前の開業当時はバリバリと手術をしていましたが、私が大学病院に勤務していた頃、父が体調を崩したため教授にお願いして、父の医院で週2回非常勤として働きました。その後、父は元気になりましたが、私は副院長として父の医院に残り、2004年に古田外科胃腸科医院を古田医院へと名称変更し、更に、2008年には医院を継承しました。開業にあたっては「患者さんの話をゆっくり聞けるような診療がしたい」と思っています。
◆ 患者さんの数は変わりましたか。
父が病気になってから患者は減っており、1日に17、18人という日も少なくありませんでした。最初は閉院かなと思っていたぐらいです。継承後には患者も徐々に増えてきました。生活習慣病の方がメインではありますが、外科を標榜しているため、外傷の方も来院されます。昔からの患者は全体の3~4割程度ですが、父が週に3回午前中外来をしているので、喜んでいただいております。
◆ 継承の場合のメリットはどんなところにありますか。
私は2代目ですが、先代が築いてくれた信頼と地盤があり、設備などの投資も少なくて済むというメリットがありました。継承にあたっては、その基盤をもとに、どれだけ地域に貢献できるのかという思いがありました。
◆ 逆に、継承、開業するまでにご苦労された点はどんなことですか。
自分で一から考えて開業するとなると、自分の思い通りにできるという点が羨ましいですが、苦労するところはそれぞれ異なりますね。私の場合は先代の借金がまだ残っていたこと、建物は築30年で内装には手を入れていましたが若干の古さは否めませんし、スタッフも引き継いだことなどでしょうか。近隣医院との競合が多かったことも不安でしたね。医院が老朽化していく中で、先代の作り上げた思いをそのままに、私の色をどう出していくのか、悩みました。
◆ 当初はどういったスタッフ構成でしたか。
看護師が常勤1人、非常勤3人、事務が常勤1人、非常勤3人でした。父の代からのスタッフですから、「大(おお)先生のときはこうではなかった」と比べられたり、私が慣習を変えようとしても、受け入れられなかったりと難しかったです。20年近く経った今は、スタッフも世代交代が進み、優秀で患者に優しいスタッフに囲まれ働きやすいです。
◆ 医療設備については、いかがでしょうか。
少しずつ揃えていきました。私が副院長の時に大腸・胃のレントゲン透視装置を入れ替えました。また、往診の際にエコーがあると診断力がアップすると考え、ポータブルのエコーを2008年に導入。この年には患者の苦痛軽減のため経鼻内視鏡も導入しました。2010年にはオリンパスから富士に内視鏡を入れ替えた際に、内視鏡のデータやレントゲンフィルムを一元化するため、CRを導入し画像データはペーパーレスになりました。今は在宅患者が増えてきたので、電子カルテの導入を考えていますが、父もまだ診療をしており導入に関しては迷いもあります。
◆ 設計や内装のこだわりについて、お聞かせください。
先代のときから、基本的には変えていません。まず、副院長になって医院のロゴを考えました。診療所の壁紙を張り替え、ウォーターベッドを置くための部屋を改装しました。継承してからは、看板にロゴを入れて統一化し、最近はロゴのイメージに合わせて待合室の椅子や診察室の机をリニューアルしました。待合室の椅子は、以前はビジネスライクな感じで肘掛けがなく、高齢の方が立ち上がる際に不自由だったため、ビタミンカラーの温かみのある肘掛け付きのタイプに変更しました。
クリニックについて
◆ 診療内容をお聞かせください。
消化器科、外科、内科、肛門科、皮膚・泌尿器科が主な領域ですが継承してからは外科、胃腸内科、内科を標榜しています。隔週土曜日は専門医にお願いして、呼吸器科外来も行っています。また、健康に関する相談、人間ドック、一般消化器外科や乳腺領域に関してのセカンドオピニオンもお受けしています。人間ドックは近隣の企業が中心です。
毎週月曜、水曜、金曜の朝8時半から内視鏡検査を行っています。
私は外科でしたので、開業にあたっては内科、整形外科の勉強は必須でした。同世代の開業医の先生方と専門にこだわらずに勉強会を開催し、ネットワークを作りました。このネットワークのお陰で診診連携・病診連携が充実し、迷った症例についてはすぐにご紹介しています。
◆ 在宅診療にも力を入れていらっしゃいますね。
柏の葉キャンパスにある東京大学高齢社会総合研究機構が柏市、UR都市機構と連携して、2010年に柏市豊四季台地域高齢社会総合研究会を立ち上げました。これは急激に進行する超高齢化に対し、誰もが安心して元気にくらすことができるまちづくりのあり方を検討する研究会で、老朽化したUR豊四季台団地の建て替えに伴い、訪問介護や在宅医療といった問題について研究活動を行っています。私は柏市医師会で在宅プライマリーケア担当理事を務めており、「顔の見える関係会議」という在宅医療に関わる多職種を一堂に介した会議の座長を担当しています。そうしたこともあり、在宅診療に力を入れるようになってきました。もともと自分が診ていた患者が医院に通院出来なくなくなった時には、ご家庭に伺って診てさしあげたいですしね。
かかりつけ医で在宅医療に取り組まれている医師が少ないという現実があります。現在、柏市医師会では東大・柏市と伴に、診療所で外来診療をしながら、昼休み等に在宅医療を行う医師を増やすための取り組みとして、在宅医療推進のための研修会を行っています。この研修会に参加された開業医が在宅医療に携わり、病院と連携しながら地域医療の担い手として増えてくれば、これからやってくる超高齢社会にも対応できるのではないかと思います。
◆ 病診連携については、いかがですか。
おおたかの森病院、東京慈恵会医科大学附属柏病院、柏厚生総合病院、国立がん研究センター東病院、柏市立柏病院、松戸市立病院などと連携しています。勤務医の先生方にも知己が増えてきまして、助かっています。病診連携は自院のため以上に、患者さんのためのものです。お蔭様で、最近は逆紹介も増えてきました。
◆ 経営理念をお教えください。
「患者さんを診るときは自分の親を診るように」という診療理念があり、結果として、経営理念はその診療理念に基づいた経営を行うということになりますね。その診療理念に自信を持ち、医療よりも患者の生活に優位性を置いて診療していれば、スタッフを雇用し、自分の家族を養えるぐらいの経営はできます。
経営や増患は第一に考えることではありません。一人一人の患者を丁寧に診てさしあげていれば、一人の患者さんの後ろには10人以上のご家族やお知り合いがいるわけですから、次の患者さんが来てくださると思っています。
◆ スタッフ教育はどのようにされていますか。
自分が患者であった場合に、どんな医院に行きたいのかを考えさせるようにしています。ただ、私の診療スタイルを見ているので、皆が丁寧に患者に接しています。事務スタッフも優秀なので、とても助かっています。
◆ 増患対策について、どのようなことをなさっていますか。
ホームページでの情報発信ぐらいですね。看板はバス通りから私どもの方に曲がるところに出しているほか、駐車場に出しています。今は患者からの口コミがメインです。これからグーグルのアドワーズなどでのアクセス解析を行ってみたいと考えています。
◆ 開業に向けてのアドバイス
病院の勤務医は病院という看板のもとで働いていますが、開業医は自分が看板です。勤務医時代に街で患者さんに挨拶されたことはありませんでしたが、今は駅までの10分程度の道でも何人かの患者さんに挨拶されるので、責任ある立場なのだと改めて実感しています。開業医に問われるのは人格や人柄、コミュニケーション能力、説明するときの語り口ですね。人格を磨きながら、患者さんの目をしっかり見て、患者によく理解していただけるような、説得力ある話し方をしないといけません。勤務医は夜勤でなければ早く帰れる日もありますが、開業医はずっと電話応対に追われることもあります。勤務医には代わりがいますが、開業医には代わりがいないので、健康を害してしまったら大変です。自身の健康管理も大切ですね。
プライベートの過ごし方(開業後)
最近は医師会活動が忙しく、プライベートな時間があまりないですね。在宅医療関連の会議が多いです。余暇は子どもと遊ぶぐらいでしょうか。
タイムスケジュール
クリニック平面図
クリニック概要
古田医院 | ||
院長 | 古田 達之 | |
住所 | 〒277-0843 千葉県柏市明原3-8-21 |
|
医療設備 | 血液検査、生化学検査、甲状腺超音波検査、乳腺超音波検査、大腸内視鏡検査、肺機能検査、胸部レントゲン検査、腹部レントゲン検査、骨塩量測定、腹部超音波検査、胃内視鏡検査、心電図など | |
スタッフ | 9人(院長、非常勤医師2人、常勤看護師2人、非常勤看護師1人、常勤事務2人、非常勤事務1人) | |
物件形態 | 戸建 | |
延べ床面積 | 約150平米 | |
敷地面積 | 約180平米 | |
開業資金 | 継承につき、約1000万円 | |
在宅患者数の変遷 | 開業当初 20人 → 3カ月後 20人 →6カ月後 20人 → 現在 60人 | |
URL | http://www.furutaclinic.com/index.htm |
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