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ゆきさだクリニック

行定 英明 院長

行定 英明 院長プロフィール

1960年に埼玉県狭山市に生まれる。1987年に日本大学を卒業後、東京医科歯科大学胸部外科に入局し、東京医科歯科大学医学部附属病院で胸部外科、麻酔科、循環器内科の研修を行う。東京医科歯科大学難治疾患研究所で循環器の大学院生として研究を行い、学位を取得する。千葉大学医学部附属高次機能センターでエンドセリンの研究を行う。1994年に柏戸病院に勤務を経て、1999年に入間川病院に勤務する。2003年4月にゆきさだクリニックを開業する。


◆ その他経歴

日本循環器科学会専門医など。

 埼玉県川越市は江戸時代には川越藩の城下町として栄えた都市で、「小江戸」として知られている。埼玉県を代表する都市の一つであるが、戦災や震災を免れたため、歴史的な街並が残っており、市内の観光名所には年間約620万人もの観光客が訪れる観光都市でもある。交通アクセスも大変良く、新宿からは西武新宿線、埼京線、東京メトロ副都心線が通り、池袋からも埼京線、東武東上線、東京メトロ有楽町線が直通する。渋谷や新木場、八王子や国分寺にも乗り換えることなく行くことが可能であるため、川越駅周辺は繁華街としての賑わいを見せている。
 ゆきさだクリニックはその川越駅から徒歩10分ほどの住宅街にある。行定英明院長の専門は循環器科であるが、開業後は一般内科や小児科まで幅広く診療にあたっている。
 今月はゆきさだクリニックの行定英明院長にお話を伺った。


開業に至るまで

病院風景 ◆ 医師を目指された経緯をお聞かせください。
 父や父方、母方の祖父が医師という環境で育ちましたので、自然に目指していました。父方の祖父は今から120年前に川越市に診療所を開設しました。当時、医大に行かずに国家試験を受験できる制度があったんですね。前期試験で基礎医学、後期試験で臨床の知識を問うもので、1000倍ぐらいの倍率だったそうですが、祖父はその倍率をくぐり抜けて医師の資格を得ました。祖父にはそうした強さがあったのです。野口英世もこの試験を経て、医師になっているんですよ。祖父は行定病院の仕事の傍らで、少年刑務所の刑務医も務めていました。子どもが6人いて、男3人は皆、医師になり、三男の私の父は狭山市で産婦人科の医院を開業しました。
 母方の祖父は京都府立医大の最初の頃の卒業生で、東松山市で開業していました。私の兄も医師で国立市の桐朋高校から筑波大に進学して、私と同じ循環器を専攻し、今は縁あって再び国立市で開業しています。

◆ 大学時代はどのような学生でしたか。
 私たちの世代は全共闘世代でもないですし、個人主義な感じでしたね。硬式テニス部に入ってはいましたが、本格的に取り組んではおらず、肥満防止と健康増進が目的でした(笑)。私はそこまで勉強熱心ではなく、学生のうちから基礎系の研究室に出入りすることもなかったですし、勉強は国家試験前にひたすら頑張りました。勉強熱心な上位の10%でもなく、お金目当てで医師を目指すような10%でもなく、間の80%にいるようなごく普通の学生でしたよ(笑)。

◆ 大学時代はどんなご趣味をお持ちでしたか。
 硬式テニス部に入っていましたので、趣味といえばテニスでしたね。仲間内での良いストレス発散でした。学生ですから、ゴルフに行くお金はないですしね(笑)。テニスなら、そのあとで食事しても5000円ぐらいで済みました。その頃の仲間とは今も仲がいいですよ。

◆ 専門を決められた経緯をお聞かせください。
 眼科、耳鼻咽喉科、整形外科などの医師自身のQOLを重視する診療科か、患者さんの生死に関わる診療科かと考えたときに、私は生死に関わる診療科に行きたいと思っていました。そこで候補に挙がったのが循環器内科、心臓血管外科、脳神経外科、小児血液疾患に関わる科などでした。当時は内視鏡治療が今のように十分ではなかったので、消化器内科は慢性胃炎が中心で、薬でもそんなに変わらないような気がしたのです。私は治療後の回復をダイナミックに感じたかったので、心臓に興味を持ち、東京都内の大学病院をいくつか見学に行きました。

◆ 東京医科歯科大学に入局しようと思われたのはどうしてですか。
 東京医科歯科大学の胸部外科に鈴木章夫教授がいらしたからです。非常にカリスマ的な先生で、男が男に惚れるというのはこういうことかと思いました。心臓手術がご専門で、週に3回もの手術を担当されていました。お金などではなく、カリスマのいるところで修行して、この人の全てを学ぼうという気持ちでしたね。鈴木教授はその後、東京医科歯科大学の学長を7期に渡って勤められて、80才で逝去されました。今、キャンパス内には鈴木章夫記念講堂も建っています。

◆ 難治疾患研究所にもいらしていますね。
 平岡昌和教授の元で不整脈を基礎と臨床から研究するためで、そこでエンドセリンの実験も始めたのですが、これがとても面白かったのです。エンドセリンは筑波大学にいらした柳沢正史先生が発見したペプチドホルモンで、当時筑波大の講師だった木村定雄先生も研究を進めていらっしゃいました。私は木村先生に憧れ、この先生と一緒に研究していきたいと思ったんです。

◆ 千葉大学に移られたのはどうしてですか。
 木村先生が千葉大学の教授に就任されたので、私も千葉に移りました。木村先生は大阪大学医学部の生化学ご出身で、研究へのエネルギーがすごかったです。教授に就任すると、マネージメントに追われる先生もいらっしゃいますが、木村先生は自らプランを立て、実践しておられました。テーマを見付けると、3日ぐらい徹夜して実験したり、ほとんど大学で寝泊まりされていましたよ。私も32歳ぐらいでしたので、先々のことは考えず、研究に打ち込みました。当直のアルバイトで生活費を稼いでいましたが、お金がないのは我慢できるものですね。研究室で共通の目標のある仲間と一緒にビールを飲んだり、ピザをとったりするのがご馳走でしたよ。若い頃は様々なことをやってみて、その中で興味があることを追求していくのがいいですね。体力的に無理できますし、そういう時期が輝いている時期なのだと思います。エンドセリンはその後、高血圧の遺伝子治療薬として臨床的に応用されてきています。

◆ 勤務医時代を振り返っていかがですか。
 臨床に関しては自分が習得してきたことを実践するのみで、目新しいことはあまりないんですよね。知識と技術があれば、自分のファイルに当てはめていけます。ただ、薬が次々にバージョンアップされていきますので、その進歩についていくための勉強が欠かせませんでした。リサーチに比べると、知的好奇心を刺激される機会は少なかったですが、自分の知識や経験をもとに、目の前にいる患者さんに力を尽くそうと考えていました。


開業の契機・理由

病院風景 ◆ 開業を決心された理由をお聞かせください。
 勤務医を続けるのか、開業するのか、40歳のときに選択しようと思っていました。50歳で開業するとなると、子どもも大きくなっているでしょうし、リカバリーショットを打つのが難しくなります。そこで、開業を漠然と視野に入れつつ、埼玉県の地域医療を学ぶために、小学校の同級生が院長をしている入間川病院に勤務することにしました。待遇も良く、当直も免除されていましたので、居心地は良かったんですが、ずっと勤務するとなると先が見えていますしね(笑)。開業したからといって成功するかどうか分からないけれど、40歳で開業すれば、もし失敗しても次の一手を打てるのではないかと考え、開業を決意しました。

◆ 開業地はどのように決定されたのですか。
 最初は出身地である狭山市で探していました。駐車場を確保するためには80坪から100坪が必要ですが、なかなか土地がなかったのです。この場所は犬の散歩中に見付けました(笑)。もとは旧郵政省の官舎があったところで、既に更地の状態でした。国有地ですから、相場よりも2割ぐらい安かったですね。良かったのは不動産会社が入らず、直接、交渉できた点でした。司法書士さんにはお世話になりましたが、不動産会社が入ると100万単位で仲介手数料が発生しますし、第三者占有など権利関係の煩わしさがなかったことも幸運でした。

◆ 第一印象はいかがでしたか。
 80坪でしたので、広さは理想通りでしたね。ただ、畑の真ん中で、人通りがなかったのが気がかりではありました。

◆ 開業するまでにご苦労された点はどんなことですか。
 スタッフを集め、軸となるスタッフを固定させることですね。多くの応募があっても、戦力になってくれるスタッフは10人に1人です。軸がしっかりしていれば、ほかのスタッフが変わっても組織力は変わりません。頭数だけいればいいというわけではないですし、戦力になるスタッフに育てていくまでは試行錯誤の連続でした。

◆ 当初はどういったスタッフ構成でしたか。
 看護師が2人と事務が3人でした。その後、患者さんが紹介してくださったり、以前は私どもの患者さんだった人が来たりで、現在は看護師が2人と事務が2人です。患者さんだった人は素の姿を知っていますので、安心ですね。

病院風景 ◆ 設計、内装などのこだわりをお聞かせください。
 既に東京都内に自宅を購入していましたので、週に半分はこちらにも泊まれるように、住居併用のタイプにしました。住友林業を含め、3社のプレゼンを聞きましたが、ツーバイフォーのメーカーは少し味気なかったです。一方で、住友林業はもとが材木屋さんですから、太い柱のある設計が気に入りました。どういう木材を使っているかで家の価値が決まりますし、檜の太い木の柱は地震にも耐えられそうですしね。私自身が患者として眼科や耳鼻咽喉科、歯科に通院するとき、パイプの椅子は冷たくて嫌でしたから、木を多用した設計や内装にこだわりました。子どもの患者さんも寛げるようにと考えています。
 診察室の隣に隔離スペースを作ったのもこだわりです。インフルエンザの患者さんを隔離したり、点滴スペースやご家族の控室になったり、0歳児がBCG接種後の皮膚を乾かすために使ったりと、重宝しています。

◆ 医療設備については、いかがでしょうか。
 検診をするためにレントゲンや心電図、血算やCRPも最初から揃えました。最近は検査会社のフットワークが良くなったので、糖尿病検査も簡単になりましたね。エコーは開業して1年後に導入しました。ポータブルなので、訪問診療にも活用しています。今も在宅の患者さんを10人程度、診ていますが、心筋梗塞の患者さんもたまにいらっしゃるので、心エコーは欠かせないですね。在宅でもご家族の協力が得られれば、大病院の病棟の医師と同等のパフォーマンスが可能です。常に10床から20床の患者さんを担当しているつもりで、在宅医療に取り組んでいます。


クリニックについて

病院風景 ◆ 診療内容をお聞かせください。
 内科、循環器科、小児科を標榜しています。開業したら、循環器しか診ないなどと言っていられないですからね。開業後に私どもの前と後ろにマンションができて、若い世代が増えてきましたので、私どもでも小児科として新生児から高校生まで診ていますよ。予防注射の問い合わせも多いです。小児科は専門にしてきたわけではありませんが、見極めは可能です。開業医の責務は大学病院や二次救急病院の勤務医を疲弊させないことにあると考えていますので、軽症は私どもで食い止めたいですね。一方で、治療が完結しない患者さんはスムーズに入院していただけるようにしています。

◆ 病診連携については、いかがですか。
 川越市の埼玉医科大学総合医療センターがメインですね。小児科でしたら、毛呂山町の埼玉医科大学病院を紹介することも多いです。また、ペースメーカーの埋め込みは石心会狭山病院循環器科の長谷川耕太郎部長、アブレーションはさいたま赤十字病院循環器科の新田順一部長にお世話になっています。新田部長は医科歯科時代の仲間なんですよ。

◆ 経営理念をお教えください。
 勤務医時代とは異なり、患者さんの病気だけではなく、ご家族などの背景を含めて考える姿勢を持つことを心がけています。たとえば、若いお母さんは子どもを残して入院することが難しいので、1週間に1回の通院のたびに採血を行うことで入院を回避したり、老老介護のご夫妻でしたら、奥様が入院されるときに同じ病院にご主人も入院できるように手配をしたりといったことですね。現在は昔のような大家族ではありませんから、一人が入院すると、家庭が回らなくなります。そういった社会的入院などのケアも行うようにしています。
 「お待たせしない」ということも重要視しています。薬だけの患者さんもいますし、待合室で倒れ込んでいるような患者さんもいます。手がかかりそうな患者さんを別室にご案内したり、それぞれの患者さんに応じた対応を心がけています。このあたりの患者さんは優しい方が多くて、「あの方を先に診てあげて」とお声を掛けてくださることもあり、有り難いですね。

◆ スタッフ教育はどのようにされていますか。
 クリニックは患者さんへのファーストタッチが大切です。ファーストタッチ次第で患者さんが増えることも減ることもありますからね。患者さんに対する言葉遣いや対応など、患者さんが悪い印象を持つことがないように指導しています。

◆ 増患対策について、どのようなことをなされていますか。
 バスの車内放送や駅の看板は効果がないので、全く行っていません。近隣の電柱に若干、広告を出している程度です。大きいのはやはり口コミです。保育園のママ友のネットワークは大きいですね(笑)。来年で開業10年ですが、ご近所には認知されてきたかなと思っています。周りの医療資源もネットワークとして有効です。友人、知人の病院、クリニックを適切に活用させていただきたいですね。


開業に向けてのアドバイス

 専門性を持とうとすることではなく、目の前の患者さんをきちんと拝見することが大事です。そこで自分でできることなのか、できないことなのかを見極め、できない場合は適切に紹介しないといけません。大学病院は大学病院という看板で患者さんが集まってきますが、開業医の場合は患者さんが開業医の実力や人間性に惹かれて来ます。看板では患者さんが来ないことを踏まえて、一人一人の患者さんに対して、誠実に向き合うことですね。
 勤務医が大変だから開業しようというのではなく、開業して何をしたいのかというビジョンを明確にしておきましょう。専門だけしか診ない、9時から5時までしか診ないという姿勢は良くありません。休日でも、夜でも、土曜の午後でも可能な限り、初診の問い合わせに応えたり、最低限の検査や診断をして2日分の薬を出したりなど、他を利すれば自分を利することに繋がります。
 医師は患者さんがお金を払ってくださる一方で、「ありがとう」と言われる職業です。そういう仕事に就けた喜びを感じていきましょう。


プライベートの過ごし方(開業後)

 夏は長瀞でラフティングを楽しんでいます。以前はゴルフも好きだったのですが、仲間となかなかスケジュールが合わなくて、最近は行かなくなってしまいました。プロ野球も好きで、阪神ファンなんですよ。東京ドームの近くに自宅がありますので、年に10回ぐらい、阪神戦を観に行っています。友達とビールを飲みながらの観戦はストレス解消になりますね。


タイムスケジュール

タイムスケジュール

クリニック平面図

平面図

クリニック概要

ゆきさだクリニック
  院長 行定 英明
  住所 〒350-1124
埼玉県川越市新宿町3-17-3
  医療設備 デジタルX線(CR)、心電図、ホルター心電図、心・腹部エコー(ドップラー)、糖尿病検査(HbA1c・血糖)など
  スタッフ 5人(院長、看護師2人、事務2人)
  物件形態 戸建
  延べ床面積 約48坪
  敷地面積 約80坪
  開業資金 1億5千万円
  外来患者/日の変遷 開業当初 10人 → 3カ月後 20人 → 6カ月後 30人(冬は50人) → 現在50人
  URL 準備中

2012.08.01 掲載 (C)LinkStaff

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